第175回 順序が違うよ、東大さん

東京大学が秋入学に移行検討を発表して賛否両論に沸いたが、
以前の<ゆとり教育改革>を思い出す。

生徒や学生の本分は勉強であるのにもかかわらず、
少年犯罪をはじめとする数々の青少年問題が「ゆとり」を欠いたものとして、
ゆとり創出のために、重要な科目が削除された。

その結果、国際間における学力の低下がみられ、その後、見直しが始まったが、
重要な科目をカットされたまま社会へ出た生徒に取り返しのつかないことをし、
また教育現場をいたずらに混乱させた罪は重い。

ゆとり教育改革について、発表当時にその欠陥をかなり厳しくコラムに書いたが、
(専門知識のない一介の主婦が思いを書き綴ったまでだが、結果的には専門家集団の
 出した知恵よりも妥当だったようです。他にもこのような例はあり複雑な思い)

今回の東大の横暴(社会に影響が大なので敢えてそう表現)も懸念している。

東大の秋入学検討は「留学生を増やす(優秀な人材の確保)」が主目的のようだが、
同大の「入学時期の在り方に関する懇談会」の「中間まとめ」でも言及しているように、
大学改革の枠の中に止まらず、
高等学校や産業界をはじめ社会全体に大きな影響を及ぼす問題である。
混乱を招いたあげく、後から改革は失敗だったなどは許されない。

中間まとめではメリットとして、
「ギャップターム(卒業から入学までの半年間の自由時間」の導入などによって、
「若者が海外留学やボランティアなど、多様な学習体験を積み、それが評価される
 ような仕組みをつくり」としているが、果たして思惑通りにうまくいくのか?

これまで思惑がうまくいかなかった改革例は数多く見られ、
ゆとり教育の際にも創出したゆとりの時間が、
生徒たちに有効に使われたかどうかを思い出すことになる。

世界の大学の在り方を研究している山内太一氏は、
「半年の自由時間を与えたら、おそらく高校卒業生の大多数はアルバイトをして
 お金をためたり、短期の海外旅行をしたりして終わりでしょう。海外の大学に
 留学できるのは、経済的余裕のある子弟だけ。未成年の若者を高校生でも大学生
 でもない、何の身分もない状態にしておくのはよくない。そんな時間があるのなら
 4月から入学させ、高校で身に付けられなかった知識の欠落を埋めるための補習を
 大学の責任において実施したり、その一環として海外の提携大学に留学させたりする
 システムを検討したい」

わたしが思っていた通りの記述があり、大いに納得できた。

今回の改革の柱で東大が一番力を入れている、
「留学生の数を増やす(優秀な人材の確保)」のためとはいえ、
あまりに代償が高くつく気がしてならない。

高校卒業から入学まで、大学卒業から入社までを考えると、
家庭や企業に及ぼす負担増や社会に与える影響は図り知れない。

大学に優秀な人材を呼び込むために、入学時期を変えて国際化する発想は、
素人のわたしにはかなりお粗末な内容に思えるものです。

日本のトップクラスの人たちが考えた妙案に、
知識のない門外漢のわたしが反論するのは憚られるけれど、
今の日本の教育現場は国際化の前に抜本的な改革が必要ではないの。

択一方式の試験問題で、自ら考える能力を殺がれた学生が、
めでたく大学入学後に受験生活のツケを取り戻すべく学業以外に熱心になり、
そろそろ大学での勉強をと思うころには就職活動にいそしまなければならないが、
日本の大学のトップを自認する教育現場の考えはいかがなものなの。

高校での基礎知識が欠けているため、基礎授業を大学に入学してから教え直すなど、
あまりにもお粗末な日本の大学の教育事情を考慮すれば、
秋入学よりも前にするべきことは山積しているはず。

秋入学を実施したとしても、思惑通りに留学生が増えるかどうかも疑問である。

優秀な留学生なればこそ、大学の質を最も重視するはずであるが、
東大の世界ランキングは現在30位。
このランクで優秀な留学生を多く呼び込むのは厳しいのでは?
まずは、大学の教育の質をもっと上げるのが先決ではと思うけれど。

大学の質が向上すれば、黙っていても優秀な留学生の数は増えるはずであり、
留学生の減少を入学の時期と結び付ける発想自体が、
問題の根本を逸脱していると思わざるを得ない。

秋入学の導入は、弊害や影響が大きすぎる割には効果が期待できない気がしているが、
世界ランキング30位の大学の発想と捉えるならば、それなりに納得もできますが。


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