第169回 外国に乗っ取られちゃうよ

ある日の新聞記事を見て「あーあ」と思った。

某銀行が、日本航空の元客室乗務員を講師として招いた、
研修の受講風景写真が新聞に掲載されていた。

航空会社の客室乗務員を平たく言えばフライトアテンダント。
もっと平たくペシャンコに表現すれば「スッチー」と称される花形職業の美人さん。

その妙齢の美人さんに、白髪頭の初老の男性が手を添えられ、
頭をぐいっと下げている瞬間がバッチリ写っていたが、
初老の男性は、なぜか嬉しそうに笑みを浮かべている。

えっー、恥ずかしくないの?

オクサンでもない女の人から、頭を押さえつけられているというのに・・・

分別盛りのお年でありながら、お辞儀の角度をレクチャーされ、
しかもお相手の講師は自分よりかなり若い女性。

講師が若くても問題はない。
他より知識や優れた技能があれば、誰でも講師になれる資格はあるから、
とやかく言う筋合いはありません。

しかし、年輩者がお辞儀の角度を若いモンから教わるとなると、
やはり恥ずかしいのではと思ってしまう。

某銀行は、ロビーの案内担当者の顧客サービス向上のため
「コンシェルジェ」なるものを新設した。
研修の目的は、利用客への気配りが行き届いた銀行への変身を徹底させるのが狙いとか。

今までも銀行の案内係りは、どこでも丁重に迎えて案内をしてくれる。
それ以上にサービスを徹底させるには、
あとはお辞儀の角度しかないということになるの?

丁寧なお辞儀の習性は銀行ばかりではない。
ファーストフードの店にしても同様。
日本中のいたるところで見られる現象だが、これも世界には珍しい習性のようである。

わたしは自分がエライ人間だとは思っていないから、
必要以上に丁寧なお辞儀で迎えられると、
その場から逃げ出したくなるほど気恥ずかしくなる。
または慇懃無礼で馬鹿にされたような気分になる。
馬鹿丁寧なお辞儀で迎えられて喜んでいる人種だと判別されているようで、
腹が立つことさえある。

わたしが変わり者だから?
他の人はどうなの?
やはり「丁寧なお辞儀はサービス」と、受け取る人たちがいるの?

わたしは、お辞儀に払うその労力と研修経費を、
顧客が求める本来のサービスに向けて欲しいと願っている。
特に金融機関は他のサービス業と異なり、顧客の大切な財産を預かっている。
一口にサービスと言っても、おのずから他の業種とは異なるはず。

わたしは頭を下げられるよりも、
待ち時間を少なくする、24時間引き出せる無料体制がいい。
おそらく世間の人たちも同じ心境ではと思っている。

顧客が求めている本来のサービスは、ずっと置き去りか後回しですよね。

某銀行の研修とは、国際線の元「スッチー」の講師から、
「お辞儀の角度や歩き方」をみっちり学ばされるようだが、
それが銀行の顧客サービスと、どう関係しているの?

そもそもお辞儀に角度を決めるなんて、わたしに言わせれば常軌を逸している。
モデルじゃないんだから、歩き方なんてどっちでもいいわけ。

日本の銀行は大体が似たり寄ったりのサービスでしのぎを削り、
このご時世にまだそんなことを考えているの?

それに「コンシェルジェ」ってなにさ。
舌を噛みそうじゃないの。
英語じゃツマランとフランス語にしたってわけ?
高齢者にはきっとわからないわね。

「案内係り」

それでいいんじゃないの? 
ここは日本なんだから。

お辞儀の仕方やしゃれた呼称で格好をつけたり、
馬鹿げたことに知恵を絞っていると、外国の銀行にのっとられちゃうよ。


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