第159回 翻訳(通訳)は本訳か? 

日本には有名人がたくさんやってくる。
アーティストやスポーツ選手、政治家、科学者等枚挙にいとまがない。
それらの方々がインタービューを受ける際に、
テレビの下部に翻訳テロップが表示されるが、
翻訳(通訳)は果たして本当の本訳? と疑問に感ずるときがある。

語学は苦手だから内容はほとんどわからないけれど、
そのときの人物の雰囲気や話し方等の諸々から推し量ると、
かけ離れた表現が字幕に使われているのではと感ずることがときおりある。

それが顕著なのが、ロックミュージシャンやスポーツ選手。
とくにアフリカ系アメリカ人に多いのが特徴である。

海外のロックミュージシャンやスポーツ選手には、
演奏中や試合中のエネルギッシュな人物とは別人のように異なる印象の人がいる。
彼らの中にはパフォーマンスの場を離れると、
修行僧か哲学者のような雰囲気や語調の人も珍しくない。
頂点を極めた者だけが持つ静かで知的な雰囲気を感じさせるが、
字幕ではそれらを損なうような言葉使いになっていることがある。

たとえば
「日本のみなさんに僕たちの音楽を聞いてもらえる機会を持つことができて幸せです」
このニュアンスが次のように置き換えられたら、印象はかなり違うのでは。
「日本のファンはみんないいヤツだから、俺たちもハッピーさ」という調子。

内容的にはそれほど違いはないと思われるかもしれないが、
わたしは腹立たしく思う。
どうして相手の言葉の調子と雰囲気を、
わざとねじ曲げるようにして字幕にするのだろう。
その方がインパクトがあって面白いからという理由で、
通訳がわざとねじ曲げるのか?
あるいは通訳が言葉の持つ雰囲気を正しく伝えても、
編集の段階で書き換えられてしまうのか?

テレビ局のことはよくわからないけれど、
もしそのようなことがあるとしたら失礼極まりないと思う。
政治家や科学者等には絶対に使われないような通訳表現が、
ロックミュージシャンやスポーツ選手には使われている。
これは先入観がもたらす弊害か、
あるいは意図的な職種差別とも言うべきでしょうか。

ついでに言えば、世界の大物ゲストが出演することでも、
話題のニュース番組キャスターの質問は、
あまりにくだらないのでこちらまで恥ずかしくなることがあった。

すでにその番組はなくなって久しいが、
当時の人気番組には驚くような海外の大物が時々出演したが、
世界的な指揮者や学者等に対して、
司会者の質問内容はほとんど芸能記者の域を出ないような質問ばかり。
しかも悪いことに当の司会者は
「大物にこのような質問をできるのは自分だけ」と得意げな表情。

ゲストの表情を注意深く観察していると
「もっと肝心なことを聞いて欲しい」との表情がアリアリ。
ある大物ゲストは質問半ばで「ふうぅー」と、
大きなため息を聞こえよがしについたこともある。

そんなときわたしはたまらなく恥ずかしくなる。

たぶんゲストには彼のことを
「日本で最も有名で人気のあるニュースキャスター」と紹介していることだろう。
「日本で最も有名なキャスターがこの程度?」と、
彼を日本の文化程度のバロメーターにされてはたまらない。
そう思うから恥ずかしくなるのである。
時間を合わせて番組を楽しみに待っていた身には、
恥かしさと怒りだけが残ることになる。

日本にはくだけた表現の面白おかしさを売りにして、
それがウケて人気を保っているような軽い司会者が多く見受けられる気がする。
まさに軽さが人気のバロメーターでは? と思われる状況ではあるけれど、
ふと思った。

それを支持しているのは、わたしたち視聴者なのよね?

結局、政治と同じで、悪い政治家は投票という形で国民が作り、
軽い司会者は視聴者の人気が作っているのかと思うと、
文句を言う相手はお門が違うということになるのでしょうか。


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