第144回 どんどん使って幸せになろう

わたしはある人に「貴女は幸せすぎて幸せボケしているのではありませんか」
と言われたことがあるが、「まさか」と思った。

わたしは意識して自分を客観視するように努力しているが、幸せの尺度とは何だろう。
わたしは女性であるから、世間一般の女性の幸せを考えてみた。

女性が投書という手段によりメディアを使って発信するのは、
幸せよりも断然不満が多い。
投書とは不満の吐け口でもあるように思えることもあり、
それらの内容を読むと、わたしはかなり不幸な部類の女ということになる。

投書に多く見られる家庭内での男女不平等の不満の形が、
我が家では当たり前に存在している。
だがそれは我が家に限っての夫婦間の問題であり、
自分が納得していることなので、不満もなければ不幸だとも思っていない。

わたしは不満をぶっつけている投書の主に、心の中で回答した。

「わたしはブランドやグルメ、宝飾類にはほとんど興味がありません。
 富豪になりたいとも思いません。月並みですが家族が健康でいてくれたら
 それが一番です。毎日の河川敷のお散歩で野良猫に挨拶したり、
 季節の移り変わりや空気や風の匂いを五感で感じ取るとき、
 毎日幸せを感じていますが、世間一般に比べたら幸せの尺度が
 とても狭いと言えるかもしれません。でも尺度が広すぎると、
 他人からうらやまれるような生活を送っていても、
 常に不満が付きまとい不幸だと感じてしまうかもしれませんから」

昨日もスーパーでちょっとした幸せを感じた。

レジに並んで会計を済ませようとしたとき、
ふとなにかの加減で後ろを振り向いた折に、
30代後半くらいの女性と視線が合った。
そのとき、ほとんど同時にお互いが微笑みあった。
わたしの胸の内に、なんともいえない心地の良い感情が沸き起こった。
たったそれだけのことなのに、会計を済ませてスーパーを出るころには、
すこしウキウキした気分になったが、幸せは「ハイそれまで」
夕闇が迫り始めた人気のない住宅街の小道で、その思いは吹っ飛んだ。

両手に買物の入った袋を提げ、薄暗い住宅街をトボトボ歩いていると、
ふと殺気のようなものを感じて反射的に身を横へずらせた。
そのわたしの身をかすめるように、自転車が追い越して行ったが、無灯だった。
身をずらせると同時にわたしは「ごめんなさい」と言ったけれど、
男性は無言のまま薄闇に消えた。
初老の男性だったが、怒りに似た哀しみが残った。

わたしは一茶の俳句のように「そこのけそこのけ」などと言われる状態で、
住宅街の路地の真ん中をのし歩いていたのではない。
路地は普通車が一台通る際に、人が塀にカニのように張り付いていないと通れないから、
いつ車が来るかもしれないと、用心深いわたしは道の真ん中は避けている。
それにも関わらず、無灯の男性はわたしの身をかすめるように追い抜いていった。
わたしは悪くなかったのに、なぜか謝ってしまい、
無灯で危ない走行をした自転車の男性は、当たり前のように通り抜けて行った。

腹が立った。
何か言って欲しかった。

「ごめん」の謝りの言葉は最初から期待していないから、
せめて「いえ」とか、頭を軽く下げるだけでもよかった。
そうしたらわたしも「なぜ謝ってしまったのか」と、悔しがることもなかったのに。

思えば、女性に比べて男性は謝り下手で、リアクションや表情にも乏しい気がするが、
特に中高年の男性にそれを感じる。

わたしはお散歩がてら、下は幼稚園児から上は80歳代の高齢者まで、
ちょっとした会話のお相手になっていただいたりするが、
幼稚園児のころは一様にワァーワァーで、男女の区別がつかない。

小学生のころになると、女の子の方がやや社交的だが、
男の子も結構好奇心が強くて、うるさく質問などを仕掛けてくる。
中学生高校生となると、明らかに歴然とした差が出てくる。
女生徒は幼稚園児のワァーワァーに、
さらに脳天へ突き抜けるキャーキャーが入り混じるが、
男子生徒は明らかに憮然とした雰囲気を漂わせてくるから、
ミニおじさんの誕生である。

それでも自転車などで「スミマセーン」などと声をかけながら
脇をすりぬけていくところなどは、
無言のままの本物のオジサンやオジイサンとは違っている。

好奇心の強いオバサンが、ずるずるズボンで歩いている高校生を掴まえて、
「失礼。キミ、そんなにズボンをずり下げているとずり落ちたりしやしないかと
 オバサンは気になっちゃうけど」などとゆるーくお説教すると、
「ハァ、大丈夫っす」と、ちょっと視線をあらぬ方向に泳がせながら答えてくれる。

意外に素直じゃない、などと思ってうれしくなるけれど、
それがなぜ中高年になるとダンマリに変身してしまうのだろう。

日常の中でのちょっとしたあいさつや謝りの言葉など、元手は一銭もかからない。
それでほんのりした幸せが買えるなら、そんなにケチケチしないでどんどん使って、
世の中の滑りを良くしたらどうなのでしょう。

もちろん、このコラムを読んで頂いている中高年男性の方に限っては、
すでに実践されていらっしゃると信じていますが・・・



HOME  TOP  NEXT