第139回 中年女性講師の抱え込みパフォーマンス

久しぶりにコンビニへ行った。
コンビニ利用は専ら公共料金の支払いとコピー機借用に限られているから、
月に1回か2回程度となる。

その日、会計カウンターで公共料金のバーコードを読み取っていたのは、
昨今は珍しいイガグリ頭の中学生以上、高校生未満と推察される男の子。
「おや?」と思ったのは、胸につけている名札型の文字の内容。
「トレーニング中」の文字が目に飛び込んできたからだ。

好奇心がランランとしてきたので、さっそく質問となった。

「トレーニング中ってなんのこと?」と、わたし。
「仕事ができないということです」と、スルリと言ったボクちゃん。
「エッツ! だってちゃんとお仕事できているじゃない?」

そのコンビニで高校生らしいアルバイトの女の子が公共料金の扱いを知らなくて、
先輩店員に聞きながらマシンを操作したことが何度かあった。
ボクちゃんは何事もなくそれをやってのけたのだから、仕事ぶりは一人前である。

「見習い中と言うことなのね?」
「ハイ、そうです」

「がんばってね」
「ハイ!」

ボクちゃんはにっこり笑った。

そうそう、この笑顔。
日本の店やサービスを提供する場で常に見られるこの当たり前のこの表情が、
外国の旅先ではほとんど見られない。

しかし、ボクちゃんのように自然の笑顔なら大歓迎だけれど、
研修で徹底的にマニュアル化された笑顔は不気味で、わたしは苦手。
外国の仏頂面の方が、かえってさっぱりしていると思う所以である。

最近、テレビで見たのはタクシードライバーの研修風景だった。
登場したのは年齢が40歳後半から50歳代と思える中年の女性講師。
元客室乗務員というから流行り言葉で称するところの元スッチーさん。

今はともかく、彼女の時代の客室乗務員の第一条件は美人だったが、
今の彼女は普通の主婦風。
今は普通の主婦もかなりおしゃれだから、むしろ彼女は地味な主婦風である。

研修生はタクシー会社のドライバー5人。
いずれも会社のリストラや、経営していた会社が倒産の憂き目に遭ったりの
中途採用者で、他に就職先が見つからなかったという男性たち。
年齢はほとんどが講師より上の世代である。

タクシードライバーに欠かせないのは、
明るい笑顔と、明瞭で心地よい受け答えの態度であるから、
そのための研修内容は、笑顔と声の出し方がメインである。

それゆえ講師は冒頭「美しい笑顔は頬の筋肉を鍛えることです」と言い放ち、
いきなり自民党総裁の谷垣氏に似た細面のやさしい紳士風の研修生を、
レスラーがヘッド・ロックをかけるような体勢で背後から片腕を回し、
もう一方の手で紳士面の頬を思い切りこすり上げた。

「このようにすると頬の筋肉が鍛えられます」と言いながら、
片手で首の根っこを押さえたまま、
他の手で頬を力任せに何度も下から上にこすりあげる。
谷垣氏似のドライバーの顔面は斜めにひしゃげてちょっと苦しそう。
だが講師はそんなこと知ったこっちゃないから、筋肉を鍛え続ける。

顔がひしゃげ、頬が赤くなった中年ドライバー氏を見ながら
「たまらないなぁ。ここまでする必要がある?」と思った。

次はきれいな声を出す方法。
腹部から息を送り唇をぶるぶる震わせるのが良いそうだが、
分別盛りの受講者が揃って唇を突き出し、ぶるぶる震わせる表情を見ると、
ちょっとした喜劇のようであり、申し訳ないけれど笑ってしまった。

わたしは意地悪なせいか、いろいろな立場の代表者や研修の講師を見るとき、
教えが当の講師の身に反映されているかを厳しく検証する癖がある。
もし、代表者や講師にそれが反映していなければ、
その内容は本物なのかと疑うことになる。

たとえば広くは、教育評論家の家庭の子どもがちゃんと育っているかに始まり、
エステの女社長のボディにそれが実証されているか。
美容界のカリスマ講師の肌に実践が生かされているかなど。

わたしとしては美容講義の内容にはまったく興味は無いが、
講師の検証にはかなり興味を覚える。

しかし、教育者の家から不肖の息子が育ち、
エステの女社長のボディにはたっぷりと贅肉がついているし、
シワができない顔を造る講師の顔は表情筋を使いすぎたせいか
深いほうれい線が目立ち、顔の筋肉がどこか不自然な印象を受けたりするが、
彼らはみな世間から「カリスマ〇〇」の称号を賜っている。

以上の点からすると、カリスマに対する世間の採点はひどく曖昧で
甘いものになっているような気がするが、
これらはメディアの発信する「カリスマ〇〇」だけに目が向いて、
その有名度や名前に反応した結果であり、
内容はどっちでもいいということになるようである。

その点、前述のタクシードライバーの講師は、
忠実に自分の教えをわが身で実践していた。

「常に笑顔を忘れないように」という講師は、
講義中も終始笑顔を絶やさなかったが、
無理にも笑顔を作り続ける講義はかなり不自然に見え、
画面を見ているうちに、こちらが疲れてきた。

声で相手に好感を与えるには「普段話している声よりちょっと高めに」という通り、
彼女がインタビューに応じたりする際や、講義中の声は裏声のように聞こえた。
それは本来の声ではなく、普通に話していないことが聞き手に伝わり
とても耳障りなものだった。

電話の受話器を握ったとたんに、
特に女性は無意識のうちにやや高めの声を発している。
つまり、普段よりは気取った声になるようだが、
それは聞く人の耳には不自然に伝わるものである。

タクシードライバーの使命は、
乗客を安全に的確に目的地まで送り届けることにある。
もちろん悪評高い横柄な態度を改善するのは当前であるが、
真面目なドライバーたちが研修内容の笑顔や声の出し方に気を遣うあまり、
安全運転の方がおろそかになるのは怖い。

研修では心の在り方を教えれば、技術は自然にそれについてくるはず。
笑顔や心地よい話し方等は研修内容としてはあまりにまともすぎるから、
講師の存在意義が問われかねないと懸念し、
派手なヘッド・ロック・パフォーマンス等のインパクトで
存在意義をつけようとするのか? 

そうだとしたら、日本製品に溢れている無駄な付加価値と同じではないの。
講師の存在意義のためのパフォーマンスは、
世の中には意外と多いような気がしている。



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