辛口コラム 将来日本が率先して請け負うもの


第135回  将来日本が率先して請け負うもの

日本は大丈夫なの?

以前、ヨミウリオンラインを読んだときそう思ったが、
その記事の内容は、地球温暖化によるアジアへの影響を詳述した報告内容。

石油など化石燃料を多用した場合、
2050年代にはアジア各地で穀物の収穫量が最大で3割減少。
食物価格が高騰し1億3200万人が新たに飢餓状態に陥る可能性があると
警告しているもので、
このうち日本やロシアのシベリアを含むアジア地域について、
すでに多くの国で穀物収穫量が減少し始めており、
発展途上国で増大する食糧需要をまかなうのがより難しくなっていると指摘。

その二日後には、食の裏側というシリーズがあったが、
そのタイトルは「輸入大国苦戦の現実」であり、
輸入大国とはもちろん日本のことである。

たとえば鶏肉の主な輸入先はタイ、中国だが、
それらの国で鳥インフルエンザが発生すると両国からの輸入がストップし、
代わりにブラジルに注文が殺到して瞬く間に買い付け価格は2倍になり、
全輸入量の91%になったという。

買い付け価格のあっと言う間の高騰にしても、
91%という一国の独占的数字も明らかに異常事態だが、
しかし、それでも品物が入手できるうちはいいが、
実は日本のチエック体制の厳しさが裏目に出て、
得意先であった日本に背を向ける海外の生産業者が出始めているらしい。

厳しいチエック体制が農薬等の人体に関わるものであれば当然と言えるものだが、
日本のそれは取るに足らないつまらない事柄で生産業者を泣かせてきたから、
それらの報いが今になって噴出してきたのではないのか。

以前、タイで作らせているタマネギの収穫の様子を
ドキュメンタリーで見たことがある。
大きさが揃っていなければ不良品ということになり、
富士山のように高く積み上げた大量のタマネギを廃棄処分していたが、
その様子を眺めている農民のやり切れない表情が胸に突き刺さった。
タマネギの品質にはまったく問題はなく、
大きさを揃えるための規格外という理由で処分されたのだから、
馬鹿馬鹿しくて呆気に取られるばかりだった。

先の鶏肉にしても、立方体に加工する空揚げ用の鶏肉に直方体の肉が混じっていた。
畜産物販売会社の担当者はブラジルの加工業者に苦情を言ったそうだが、
そこで業者が言った。

「何割までなら混じっていいのか」
「こんな形ではどうか」

それに対して担当者は定規を取り出し、一辺の長さを測りながら議論になった。
加工業者は言った。

「そこまで言うならもうできない」

水産物にしてもアジならフライ用は百グラム以下、
開き用は百グラム以上と別々に買い付けるが、
最近はロシアや中国が高値で買うので、
細かい規格を求める日本はさらに高値でないと買えなくなっているそうだ。
そのツケは当然消費者に回されることになる。

要するにこれに似た愚かな日本方式は、輸入品に関して枚挙に暇がないが、
国内生産物にしてもキュウリは曲がったものはだめという馬鹿馬鹿しいものは
あまりにも有名である。
高級料亭の特別な料理ならこだわりがあるだろうが、
一般家庭では味に変わりがないのであれば形などほとんど関係がないではないか。
むしろ、形の良い分だけ高額で買わされる消費者こそ迷惑である。

なぜ日本人はそのようなつまらないことに拘るのかわたしには理解不能だが、
同じ日本人に理解不能ならば、
異国の生産者たちにはもっと理解しがたいことだろう。

彼らは、これまでは大事なお得意さまだからとじっと我慢を重ねてきたが、
これから先も忍耐を続けることの保証はどこにもない。
もっと条件が良い他の国から引き合いがあれば、
理解不能な国をソデにしてそちらへ鞍替えするのは明白である。

わたしは海外旅行の際には諸外国の市場に必ず足を運んでみるが、
そこで売られている農産物や水産物はその国の人々のように個性豊かである。
大きさも曲がり具合も形もそれぞれが自由で勝手気ままだが、
日本のスーパーで売られている野菜たちは日本人そのものではないのか?

どこを切っても同じ顔が出てくる金太郎アメのごとく、
みんな一様にきっちり揃えられた規格品ばかり。

企業のコンセプトを変えるのは消費者のパワーであるが、
輸入品のつまらない規格に関しては一向に消費者の声が届かない・・・
と言うよりは、現状を消費者が当たり前と捉えているからだろうか。

このままでは外国の生産者から総スカンを喰らい、
考えすぎかもしれないが、
将来的には輸入大国の日本はアジアでの飢餓の犠牲者の大半を
率先して請け負うことになるかもしれないと思ったものです。



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