第134回  誘惑に負けそう・・・

最近、毎日落ち着きません。

ある誘惑に駆られていて、
ひょっとしたら人生を転落することになるのではと大変恐れている。

それは少し前から通い始めたフィットネスクラブにかかわっているが、
原因はわたしの家から20メートルくらい離れた家にある。
その家の庭木のミカンが枝も折れそうなほど大豊作に実っているが、
それに気がついたのはすこし前だった。

毎日の散歩の通り道なのに、どうして今まで気がつかなかったのか。
気がついたときにはすでに大豊作状態であった。
まさか一夜にして花が咲くように実がついたわけではないとおもうけれど、
毎日のように前を通っていながらまったく気がつかなかった。
これはワタシによくあることです。

けっこう道筋がスッキリしている住宅街でも
未だに家の付近の路地を頭に描くとき、迷路状態できちんと描ききれない。
これは路地だけの記憶に止まらず、
人名や地名やその他全般の記憶に関してとても疎いのです。

世間の出来事にほとんど関心のない夫さえ、
「あそこの角を曲がったところの佐藤さんのウチの塀は」などと、
表札の文字を読んでいるらしく名前を言えるし、
住んでいる地域にある建物や店の位置などもけっこうきちんと把握しているので
「わぁ、よく気がつくわね、よく覚えているわね」とほめている。

でもこれが逆転する事がある。

海外旅行へ出ると俄然わたしは記憶力を発揮する。
数年後に同じ場所に旅行をすると、
ホテルや路地はもちろん立ち寄ったお店の人の顔まで記憶している。

記憶力は右脳を使ってイメージで記憶すると良いと専門家が言っていたが、
まさにわたしの旅の記憶は鮮明なデジタル画像のように保存されていて
いつでも取り出し可能なであるが、
どうして遠い外国の記憶が鮮明で、毎日通っている周囲の環境に疎いのか。

それはさておき、わたしはそのミカンが欲しくてたまらない。
その家の前を通りかかると、腕がムズムズしてくる。
明るいうちはなんとか誘惑の自動制御装置が働いているが、
家から5分のフィットネスへ夜の8時に出かけると帰りは10時過ぎ。
そのころの住宅街はほとんど暗闇状態であり、
通りかかりに昼間見たミカンの位置を見定めようとするときは、
目を凝らして遠くの電灯の光をたよりにようやく確認できるくらいだから、
夜陰に紛れてひとつ失敬したい! と強烈な誘惑に駆られる。

その家にも責任があるのでは? と思うのは、
ミカンの木が庭の真ん中にでもあれば眺めて楽しむだけなのに、
生憎、通りから近い場所にある木は枝を大きく路地に張り出している。
その上、木が低いため通りの端を歩くと枝いっぱい実ったのが肩や腕に触れて、
売れない遊女のお誘いみたいにあからさまなのである。
かなり自制心を働かせないと危ない状況であり、
人通りの絶えた夜の住宅街の暗がりなどではイチコロであるが、
これまでよく持っていると我ながら感心している。

実は、昨年の今ごろの時期に前を通りかかると、
その家のご夫婦がミカンを収穫していた。
その時までミカンに気がつかなかったので
(毎年実っていたのかしら? 気がついたのは昨年)
住宅街の庭先のミカンの収穫が物珍しく、つい立ち止まって眺めていた。

(ひとつ欲しいナァ)と思っていたが、それが伝波したのかオクサマが
「すこしお持ちになりますか?」とおっしゃた。

「まぁ、うれしい」と即座に叫んでしまった後でさすがに恥ずかしくなり慌てて、
「せっかく収穫されたものを申し訳ないですから・・・」と、
心にもなく繕ってしまった。

「どうぞ、どうぞ、袋がないけれど持てますか?」

オクサマは通りすがりの人にあげるのに、
わざわざ家に入って袋を持ってきてあげるまでは無いだろうと思われたのでしょう。

「大丈夫です、持てると思います」
「でも、お散歩に行くところのようなのに」
「いえいえ、家はすぐ近くですから、そこの突き当たりの角です」

わたしはオクサマの気持ちが変らないように必死で応答した。
その甲斐があって、オクサマはわたしの腕にいっぱいのミカンを載せて下さった。

腕の中で山になっているミカンを崩さないように、
ソロリソロリと家の門扉の前まで辿り着いたとき、
隣家のオクサマが庭で植木鉢のお手入れをなさっていて、
視線がまともに合ってしまった。

あーあ、なんてタイミングの悪いこと・・・。

オクサマの視線は必然的にわたしの腕に抱かれたミカンの山に辿り着いた。

「今、あちらの家でこれをいただきましたの。少しおすそわけしますね」
「あら、せっかく頂いたものだから」と言いつつ、オクサマは期待している様子。

そのキモチは痛いほどわかるのです。

わたしは素早く腕の中のミカンを数えた。
その数10個。
一瞬のうちに頭の中で逡巡した。

ミカンの分配は6:4にしようか。
わたしの頂き物だからひとつくらい差をつけても当然よね?
本当は7:3でもいいくらいだけれど、ケチだと思われるかしら。
やっぱり5:5?
なんだか損をした気分・・・

頭の中のカウンターをめまぐるしく回しながら、
ゆっくりオクサマの手にミカンをひとつひとつ移動させながら、
気持ちとはうらはらにミカンの分配は5:5になっていた。

オクサマがおっしゃいました。

「獲りたてより2,3日寝かせるとおいしいみたいよ」
「まあ、そうですか、知らなかった」

教えられ賃だと思えば、ま、いいか!

普通の家の庭先で収穫したミカンは皮の表面がアタバタで不器量、
色合いもいかにもまずそうでしたが食べてみてびっくり。
市販のものよりはるかに甘くて味が濃い。

またしても5:5が悔やまれてきたので、
黙っていられないわたしは夫に打ち明けた。

「オトナリのオクサマに見られちゃったから5個あげちゃったの。
 こんなに美味しいのならもっと少なくても良かったかしら?」

「カッコつけるからだ」

あーあ、やっぱり言うんじゃなかった!

収穫期のミカンを、そのまま放置して見せびらかすのは立派な罪作りである。
そのためにわたしは今晩も誘惑と必死で戦わなければならない。
ミカンひとつ失敬しただけでも見つかったら最後、

「アノ家のオクサンは・・・」

人生にはいろいろな誘惑があちこちで網を張って待ち構えていますが、
気をつけましょう。

それにしても凶悪事件が多すぎるこのごろですが、
すこし気持ちをゆったりと過ごしたいですね、などと言いたくなる昨今ですので、
日常エッセイの書庫から辛口へちょっとお邪魔してみました。

本来はまったりエッセイの方が筆がスラスラ運ぶのですが、
次回からは辛口に戻りましょう。



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