第128回 CMから日本人の誇りを考える ネットのニュース記事に、セブン−イレブン・ジャパンが発売した 「関根式チキンカレー」が好評だとあった。 タレントの関根勤さんがプロデュースしたカレー弁当で、 従来のセブンイレブンのカレー弁当の5倍に売り上げを記録したと言う。 「ふーん」 セブン・イレブンによると 「これまでタマネギで甘みを出したカレールーの味には自信があったけれど、 知名度がなかったので売り上げがいまひとつであり、 関根さんのブランド力を借用した」とのことであるが、 タレントさんの名前で商品を買う人がたくさんいるとことにあらためて驚いた。 テレビや雑誌等のメディアを駆使したCMに、日ごろからある疑問を持っていた。 アイドルや人気タレントを使うと「売上げが3倍に増えた」などを聞くことがあるが 事実なのか。 わたしは流行のファッションや流行のメイク、グルメ等にはほとんど関心がないので、 それらのCMに左右されたことはないと断言できる。 ただし、普段スーパー等で購入する食品についてはとても関心がある。 それでもCMに登用された人物で購入を検討したことは一度もない。 しかし、企業が競って人気タレントを起用するのを見ると、 やはり効果があるものと思われるが、そこでまた別の疑問が生じる。 今やひとりの人気タレントが数社を掛け持ちしているのは当たり前。 10社くらいを掛け持ちしている例さえあり、 それがタレントの人気のバロメーターにもなっているようである。 わたしが企業の担当者なら他社のイメージで手垢がついたタレントを、 自社の顔に起用するなどはとうてい考えられない愚挙と考えるが、 業界では当たり前のようである。 複数の企業が同じタレントを自社の顔として使いまわしているのだから、 消費者はさぞかし混乱することだろう。 これを不思議に感じないわけにはいかないが 、わたしが変わり者だから? 以前、テレビCMの疑問について書いたことがある。 <外国旅行中に時間があるとホテルや宿でテレビを見るとき、 他国のテレビCMは言語が理解できなくても宣伝内容の見当がつくのに、 自分の国のCMはどこかおかしい。言語はちゃんと理解できるのに、 肝心の広告内容がすぐには理解できない場合が多い。 他国は宣伝したい商品や企業名等を前面に打ち出して 訴えたい事柄をズバリと登場させる直接手法が主流で、 日本は自己主張をうとんじる国民性ゆえか、 宣伝対象をあからさまに打ち出すことを控えて、 まったく別の事柄を引き合いに出し、そのイメージ効果を 商品に結びつける手法が多用されているように思えるのは、 感性に訴える傾向が強いのかもしれない> CM音痴のわたしには、まったく効果がないその手法について、 果たして他の人はどうなのと常々疑問を感じていたが、 最近の民間調査会社のアンケート結果で納得した。 「テレビCMの6割が印象にない」との厳しい結果が出たようである。 印象にない企業の中には、年間3億円を投じ900回以上も放映していた例もある。 今後、この調査結果を踏まえてテレビCMの表現方法が変わるのだろうか。 テレビCMのコンセプトにも疑問を感じる。 日本人が着用するファッションに、 なぜか外国の金髪美女やハンサムのモデルを多用する。 新聞のスーパーの折り込みチラシのシャツやジーンズも金髪モデルが着用。 日本人が住むはずの住まいの広告も、外国人モデルのカップルが仲の睦まじさを演出。 究極はお化粧品の広告。ピンク色の肌の金髪美女が、 黒髪、白い陶器肌の日本女性が使用するメイク商品を堂々と宣伝する。 これはかなりおかしな現象である。 車にしても、なぜ外国人モデルなの? しかも風景まで外国の町並みなのはどうして? 購入する車が走るのは日本の道路のはずである。 車の性能に自信があるならば、外国人のモデルや外国の風景で、 イメージをかさ上げしなくてもよいのでは? 日本のCMは、外国人モデルと外国の風景で溢れている一大市場であるようだ。 どうしてこのようなおかしな現象が堂々とまかり通っているのだろう。 底流にはやはり金髪碧眼への憧れ、裏を返すと日本人の劣等意識が 見え隠れしている。 スーパーのバーゲン商品も、高級感を演出するために外国人モデルを起用。 車も家も、食料品も、外国人モデルが登場する広告の意図は <高級感や憧れを演出するため>だとしたら、なんとも情けない。 悠久の歴史と、独自の文化、四季の移ろいを敏感に感じられる 繊細な感性を持つ勤勉な国民性。 笹の葉を揺らして吹き抜ける微かな風の音や、 絹糸のような雨音にも耳を済ませ、 虫の鳴き声や物音にも意味を見出す豊かな感受性。 生活の知恵に溢れた暮らし、里山の自然の風景の美しさに、 どれだけ多くの異国の著名人が魅せられたことだろう。 明治時代に訪れた著名なフランス人が 「世界にたった一つの民族を残すとしたら、それは日本人だ」と言ったそうだが、 いろいろな面を総合すると、あながちリップサービスとも思えない。 何より自尊心の塊のようなフランス人は、 たとえ心ではそう思っても、口が裂けてもそのようなことは言わないであろう。 それを口にしたのは、よほど感極まったのではと想像を逞しくしたものだ。 しかし、今の日本の状況は決して胸を脹れるものではない。 毎日のように報道される陰惨な事件の中には、 他国ではあまり考えられない尊属殺人が多く含まれているが、 これらは一時的なものと考えたいのです。 きっと日本は自分たちの力で日本人たる心を取り戻すことができる。 なぜなら、祖先から受け継いだDNAはちゃんと個々の魂に宿っているはず。 もちろん他国の人の容姿やライフスタイルに憧れるのも良いでしょう。 しかし、ほどほどというモノサシをきちんと持つことが大切ではないのか。 あまりにも氾濫しすぎた外国文化と外国の文字には目を覆いたくなる。 自分の国の文化に誇りが持てないほど情けない国はない。 そのような現状でも、まだ日本に憧れを抱いている他国の人もいることでしょう。 自国の文化に胸を張れるような、誇りある国の再生を心から願っています。 HOME TOP NEXT |