第125回   高級旅館のもてなし

エッセイのご褒美でいただいた旅行券の期限がもうすぐ切れるとわかり、
自腹では絶対に利用しない(利用できない?)高名な高級旅館を予約した。

さて、海辺の近くの宿についてからが大変。

車を駐車場につけたとたんに揃いの着物の中年女性と、
女将らしい貫禄のある女性がお出迎え。
中年女性は夫とわたしが持っているバッグを「お持ちいたします」と、
手からもぎ取ろうとし、「いえ結構です」とこちらは手を引き寄せる。

あちらは小柄でしかも着物姿、
こちらは背が高くガッチリ型の見た目は強そうな男性がいるというのに、
か弱い彼女らに荷物を持たせることは心情的に出来ない。

それからが<大変の二次会、三次会>の始まり。

「お茶をお持ちしました」に始まり、食事のサービスから布団を敷くまで、
なにやかやと着物の女性が出たり入ったりして、
そのたびにお礼を言い、心づけを渡し、次はいつ来るのかと、
一時も気が休まらない。

夫の表情が、だんだん癇癪モードになってきた。

「オレたちはのんびりしに来たんだろ? これはどういうことなんだ!」
「ほんと、なんだか落ち着かなくて、かえって疲れちゃう」

名旅館の名にふさわしく、
見事な掛け軸やさりげない一輪挿しの風情は心に響くものがあったが、
せっかくのもてなしが過剰な押し付けがましさに吹き消されてしまった。

我が家は関東近辺の普通の温泉旅館に年に1,2度は泊まりがけで行くが、
大抵の宿で食事やら布団敷きやらで部屋に出入りがあり、
落ち着かないのと、見た目は豪華でも思うほどに食事がおいしくない。
二度と旅館はゴメンと言いつつ、
なぜかホテルよりは畳の旅館のほうがくつろぐとの思い込みが抜けきれずに、
同じ過ちを繰り返している学習能力不足のカップルである。

食事は趣向を凝らした豪華なものだった。
手書きの品書きにはうやうやしい文字でズラズラと豪華な献立が並び、
たとえばイセエビの姿作りとか(価格表では1万2千円!)
大きな金目鯛を丸ごと一匹煮付けたものが、
特大のお皿に寝転がってしずしずとやってきた。
皿数は数え切れないので、
少しずつの量でも大食漢の夫のお腹も一杯になったようだったが、
彼は言った。

「オレはチマチマした料理は嫌いだ!
 肉なら肉、魚なら魚がドーンとしたのがいい!」

「お魚のドーンはここにあるでしょ。
 丸ごと一匹よ、金目鯛のこんなに大きなのは初めて見たわ」

「これはなんだ? サバの煮物か?」

「うっそー、これがサバに見えるの? 色が赤いお魚よ。
 これは金目鯛といってお祝い事に使うような高級なお魚なのよ」
「魚の名前はまったくわからん。よくいろいろ知っているなぁ」

「家では鯛は粕漬けや切り身で使うけれど、煮付けもごくたまに食べているはずよ」
「名前を覚えるために魚を食べているんじゃない!」

夫はさらに付け加えた。
「高級旅館の料理って、あまりうまくないなぁ」
「わたし、来るときに途中でいただいた普通のお店の海鮮丼の方がずっとおいしかった」

貧乏性の夫婦ゆえの不満なのか。

食事が済んで布団を敷くと、ようやくわたしたちの安息の時が訪れた。
夫は窮屈がよほど堪えたか、冷蔵庫のビールを取り出して飲みまくり、
全身真っ赤になって息遣いも荒く、獰猛な赤いクマのようになった。

翌日、「朝食のご用意をさせていただきます」と、
いきなり朝7時に叩き起こされ、蒲団をまくりあげて片付けられた。

早起きが苦手な夫は、昨夜のビール顔のように赤くなって怒った。

「オレたちはゆっくりくつろぎたくてわざわざ来たんだ。
 なんで旅館の都合に合わせて叩き起こされるんだ」

「ホント、おかしいわね。
 お客の都合に合わせるのが本当のサービスというものでしょう?
 旅館の都合に合わせてこんなに早く布団をあげるなんて聞いたことがないわ」

しかし、そのような横暴な旅館が高級名旅館として、
高級旅館専門のカタログに掲載されている。

高級旅館はやはり苦手でわたしにはあわないと思ったけれど、
メディアの特集ではこのような旅館が相変わらず人気があるようです。



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