第121回   なーにが、アイちゃんよ!

夕方ころになって近くの公園へお散歩にでた。
自然の雑木林をそのまま残した園内は、
子供連れや散歩をする人の憩いの場になっているが、
曇り空の夕暮れはすでに薄暗くなりかけていた。

公園の中央には、サッカー場がスッポリ入りそうな広い雑草地があり、
普段は子どもたちが元気に駆け回っているが、今は人の姿も見えない。
子どものころにかえって、思いきり走り回りたい衝動に駆られたが、
すでにお尻の重力が影響している年ごろなので無理だった。

走るのを諦め、草地をブラブラと公園の出口を目指すと、
薄暮の中の行く手に人影があった。

ぼんやり見えるのは中年の夫婦連れであるが、それに向き合うように、
夫婦よりもやや若いと思われるひとりの男性がいた。
男性が夫婦連れに話しかけているようでであり、
夫婦連れの足元には一匹の犬が座っていた。

犬好きなわたしがその犬に気を取られながらそばを通りかかると、
彼らの反対の方角からふと気配を感じた。
何気なくそちらをみると、こちらにも一匹の犬がいたが、
その距離は立ち話のひとたちとはすこし離れている。

「あら、あのワンチャンどうしたのかしら?」

薄闇を透かして犬に注目すると、彼とバッチと視線が合った。
ワンちゃんは腰を上げてわたしに近づいてきたが、
ズルズルと首から垂れた綱を引きずり、その先は・・・野放し!

すでにワンチャンはわたしの足元近くまできていた。
低いうなり声まで上げたので、わたしは氷結状態になった。

クルクル巻き毛の甘ったるい感じの西洋犬なら、
いざとなったらサッカーボールみたいに「ポーン」と蹴り上げれば
「キャーン」と一声あげて毛並みと同じように尻尾も巻くだろう。

しかし、目の前のワン公は体こそちいさいが、
土佐犬の面構えのように気合が入っていて、しかも凶悪な面相である。
蹴っ飛ばしたその足に食らいつくくらいの根性はありそうに見えたから、
怖かった。

わたしは金縛りに遭ったように動けなくなってしまった。
今にもガブリとやられるのではと冷や汗が滲んできたが、
様子からするとワンチャンは男性の飼い犬のようである。

「怖い!」

わたしは自分の気持ちを声にして正直にアピールしたが、
男性はしらんぷりを決め込んでいる。
間違いなく聞こえているはずなのに、
夫婦連れとの会話に忙しいようだ。

わたしは金縛りの状態にイライラしながら「こわ―い!」と声にして
(なんとかしてよ!)と、ブツブツ口の中で繰り返すのが精一杯。

忘れたころになり、ようやく男性が反応した。

「アイちゃん」

彼はひどく甘ったるい声でワン公によびかけたが、それっきり。

その後も、わたしとワン公のこう着状態は続いた。
しばらくして夫婦連れがその場を離れると、男性はようやくワン公の紐を拾い、
金縛り状態のわたしの前をなにごともなかったように立ち去った。

わたしは怒りで破裂しそうになった。

なんでアタシがあやまらなくちゃいけないの、と思いつつ
普段は言えるはずの「スミマセン、犬の紐を持っていていただけますか」が、
最後まで口にできなかった。

相手の髪は五分刈り、レスラーのような巨漢で、その迫力に負けてしまった。

物言わぬは腹が膨れる。
だから薄闇の公園を歩きながら思い切り言ってやった。

「なーにがアイちゃんよ! レスラーみたいな巨体が笑わせないでよ。
頭のてっぺんからアイちゃん!だって。フン、公園で犬を放し飼いにして
他人に迷惑をかけて、すみませんくらい言えないの? おしゃべり男がなにさ!」

公園を出て歩道を歩いていると、背後から「スミマセーン」と言いながら、
スピードを緩めない自転車がわたしの脇を掠めて通りぬけた。
同時に、わたしの口からもなぜか「ごめんなさーい」

(また謝っちゃった・・・)

相手は中年男性だった。

気を取り直して歩き始めると、なにやら殺気!
思わず体を横にして、忍者のごとくペタリと生垣に貼り付いた。
そのわたしの胸先を、無灯の自転車が猛スピードで走りぬけた。

なんて危ない!

無言の相手は、制服姿の中学生か高校生の男の子だった。

(おいおい、自転車は歩道を走っちゃイカン。無灯も罰金だぞ!)

愛すべき公園のお散歩で、
こんなにギスギスした気持ちで帰らなくちゃいけないなんて、
誰か責任を取ってちょうだい。

世の中は自分ひとりのために存在し、回っているわけではありません。
他の存在も認め、譲り合って楽しく暮らしましょう。


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