第120回   なぜ? 同じ親なのに日米のこの違い

NHKの衛星放送にはお気に入りの番組がいくつかあるが、
「家を交換」という番組もそのひとつである。

欧米の家族がある一定期間家を交換し、その環境を楽しむ
「住まい交換体験」のレポート番組である。
残念ながら今は放映していないから以前見たものをご紹介したい。

たとえば、イギリスの一家とアメリカの家族が家を交換する。
日本人からみると、イギリスの家もアメリカの家も大きくてゆったりしている。
緑の芝生の庭と豊かな木立に囲まれた環境もよく似ているように思えるが、
家を交換した彼らからすると環境の違いはかなりあり、
驚きと感激の連続のようである。

さて、イギリスにやってきたアメリカ人の家族構成は、
夫婦と幼稚園児から小学二年生くらいまでの女の子が三人。
家族5人の7ケ月のヨーロッパ旅行の途中で、
イギリスの家に3週間滞在することになった。

父親は彼が子供のころ、やはり家族で15ケ月間のヨーロッパ旅行の経験があり、
それを踏まえて自分の子供にも体験させたいと思ったことが動機だと語った。
(家族で15ケ月! すごいなぁ)

家族が滞在中に村祭りがあった。
村人はそれぞれが得意料理を作ってお店を出すのが習慣になっている。
「私たちもこの村に住んでいる間は村人ですから」と、
短期滞在のアメリカ人の彼らもさっそくカラフルなクッキーをたくさん焼き、
1枚50ペンスで販売した。

村祭りの行事で、子供たちを相手に指人形遣いのお芝居が始まり、
指人形は愛らしい動きで子供たちの目を釘付けにする。
ある場面で棒を持って叩き合うものが登場したが、
そのとき父親が即座に言った。

「棒を持って叩き合うことは悪いことだからしてはいけないよ。
 あれはお芝居だからね」
と幼稚園児の娘に言い聞かせた。

(こういう場面は日本には絶対にないなぁ)

画面が変わり、村祭りの芝生に腰を降ろしている夫妻の妻が言った。

「村祭りはとても楽しかったけれど、叩き合う人形芝居は嫌いです。
 こんなに世の中が暴力的になっているのに、
 子供たちにあのような場面は見せたくありません。
 今の世の中はあまりにも暴力的なシーンの映像や雑誌が溢れていすぎます」

わたしは驚いた。
指遣いの人形劇はとても他愛のないもので、
暴力場面にはかなり敏感なわたしでも見逃すような場面である。
しかし、育ち盛りの子供を持つ母親の心理とはそこまで深いのかと、
子供の心理に関する先進国を見た思いがした。

振り返ってわが国の母親たちはどうなのだろう。
あまりにもこの手の事柄に無関心、或いは寛容すぎるのではないのか。

中学生が最後の一人になるまで残虐な方法で殺しあう
「バトルロワイヤル」のような映画さえも認めて鑑賞させているのである。
その根拠が
「残虐なシーンを見たからと言ってかならずしもみんなが影響を受けるものではない。
自分の子供は残虐なシーンを見た後で、あれはいけないこととちゃんと理解した」
と、個人レベルの現象で結論を下し、社会全体に目配りをしていないのが気になった。

日本では優良アニメの「アンパンマン」や「どらえもん」の他愛のない殴り合いも、
他の先進国のチエックにかかると、暴力シーンとみなされカットされる場面もある。

日本では、青少年のおぞましい犯罪がいまや当たり前のように起きているが、
他の先進国では明らかに規制の対象になる残虐シーンやポルノ画像を
「表現の自由」のもとにタレ流しているわが国の現状では、
当然の結果と思えなくもない。

この日米の母親の子供に対する認識の相違はどこから来ているのか。

ある年代の日本の父親は昔の劇画にも過激なものがあったが、
自分たちは影響を受けなかったと語っている。

わたしが子供の時代の過激な劇画と言えば、
「明日のジョー」というスポーツ闘魂物語があった。
ボクシングのチャンピオンを目指す少年の戦う場面が、
非常にリアルで過激だったので話題になり、
人気も社会現象を起こすほどだった。

しかし当時は過激だと思われたものも、
今の劇画に比べたら普通と映るようなものばかりである。
ナイフやオノで惨殺するような物語ではない。
少年がボクシングのチャンピオンを目指す闘魂ストーリーで、
夢に向かって努力を尽くす様子はむしろ教育的な部分も存在するストーリーである。
過激と思われるボクシングの場面もその過程で生まれたものであるから、
実態はスポーツ根性物語なのである。

しかし今の劇画はストーリーは二の次で、売らんかなのどぎつい描写が溢れている。
昔と決定的に違うのは、子供を取り巻く社会環境である。
当時は悪いことをした子供は殴られたり、追いかけられたり、
お蔵に閉じ込められたりと、常に祖父母が、近隣の大人が、地域が、
いつも子供たちの行動に目を配って善悪を教えた。

その社会環境が今は崩壊している。
他人の子供どころか、自分の子供さえ満足に躾が出来ない親もいる。
そんな社会環境の違いを考慮するでもなく、
単純に昔も過激な劇画があったが悪くならなかったと比較し、
現在の過激な映像を擁護する理由にするとしたら、
あまりに無責任で怖い気がするが、これが日本の親の認識なのです。

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