第116回   女優に学べ

お盆に夫の故郷に帰省した。
金沢から車で20分ばかりの山間の村の家にはすでに住む人もなかったが、
近くに住む義兄と義妹がとてもよく面倒を見ていてくれるので、
いつ帰省しても清潔で気持ち良く過ごせるのでありがたいと思っている。

食事の支度も東京のいつもと同じだけれど、
やはり異空間の山村の暮らしは日常とは違っている。
日ごろできなかった読書をしようと数冊の本を持参したのに
すぐに読み終えてしまった。

書棚を開いたら立派な世界辞典がずらりと並んでいたがさすがに読む気になれなくて、
以前から一度は読みたいと思っていた「歎異抄」があったので手に取ってみた。
堀内大栄という高層が解説されたものであったが、
こちらの方は一行読ごとに行きつ戻りつしながら読むので、
なかなか進まなかったがそれだけに考えさせられるものが多かった。

かなり疲れたのでなにか軽い小説を読みたかったが、
生き方や哲学書のようなものばかりでちょっとがっかりしていたら、
一冊だけ場違いのように「氷の微笑」のタイトルが目に飛び込んできた。

これは映画にもなり、映画の方は外国旅行のフライト中に見ていたが、
小説は読んでいなかった。
結末を知っているサスペンスを読んでも仕方がないと思いながら、
ふとあることを思い出した。

それはたしか2005年、スイスの保養地・ダボスで行われた会議での出来事だった。

世界の政財界の要人が一同に会して、政治・経済・文化等の問題について話し合う
「世界経済フォーラム年次総会」(通称ダボス会議)が開かれた。
会議は5日間の日程で世界経済の見通しや、
二期目を迎えた米ブッシュ政権の展望などについて議論が交わされた。

スイスの小さな保養地に、世界の主要な政財界人が2000人も集まる
この会議の名前は以前から知っていた。
その具体的な内容については知らなかったが、
その年はひとりの女優さんのお陰で少しは知ることが出来た。

その女優さんの名前はシャロン・ストーンさん。

彼女の代表作、あるいは出世作と言われているサスペンス映画<氷の微笑>で、
一躍有名スターの仲間入りをした人である。
野性的な美貌もさることながら魅惑的な肉体の持ち主であり、
当時のクリントン大統領をして彼女のフアンと言わしめた女性でもある。

彼女を伝える写真の多くは、
乳房がはみ出さんばかりの胸元が大きく開いたドレスに身を包んだ
官能的なものが多かったので、
そのイメージから<肉体派女優さん?>と思い込んでいたが、
彼女にはもうひとつの別の顔があった。
エイズ撲滅や貧困救済の活動家でもあり、
その別の顔が劇的に活躍したのがダボス会議での席上である。

広い会議場の壇上には5,6人の各国の有名人のパネリストが居並び、
そのうちのひとりは誰もが知っているビル・ゲイツ氏。
テーマは<アフリカのエイズと貧困>であり、
パネリストのひとりが基金の創設を提案したが、
そのときタンザニアのムカド大統領が発言をし、会場の空気が一変した。

「もうすでにいくつもの基金があるのに、
 世界が抱えている問題に足並みが揃っていない。
 基金を作る時間があったら今すぐに何かをして欲しい。
 アフリカでは毎年マラリアで300万人が死亡している。
 その原因は貧しくてカヤがないから。
 カヤがあればもっと多くの命が救われる」

この大統領の悲痛な訴えに会場の一人の女性が立ち上がり、即座に応えた。

「カヤを買うために私はこの場で1万ドル(約100万円)を寄附したい」

それがシャロンさんだった。
ライトブルーの平凡なスーツ姿の彼女に、
あの官能的な女優の姿はどこにも見られなかった。

彼女は続けた。
「私に賛同する人は今すぐ行動して、寄附をして、ここに名前を書いて」

彼女は必死に訴え続けた。
その姿をテレビで見ていたが、胸を打たれるものがあった。
彼女の行動は突飛であり、会議の流れを損なうものであったから、
壇上のパネリストの議員が言葉を二度三度挟んだ。

「寄附の名簿は会議が終わってから・・・」
「今でなければだめ」

彼女は耳を貸さなかった。
必死で訴え続ける彼女にひとりの紳士が応じた。

「この場で5万ドル寄附をしよう」

紳士に続いて賛同者が次々に立ち上がり、
わずか10分たらずのうちに100万ドル(約1億円)が集まった。

これが普通の女性の呼びかけだったらどうなのだろう。
このように成功しただろうか。
やはり美貌の人気スターの力によるものであると思う。
それを彼女は充分に承知している。
過去にも自分のキスをオークションにかけたことがあるが、
NPO活動のために1分間のキスと引き換えに5万ドルを得た。

肉体派女優だから文字通り自分の体を張ったなどと揶揄する気は毛頭ない。
彼女の毅然とした必死の訴えに涙腺が緩んでしまった。
彼女から「今すぐに行動を起こす」という大切な教訓を学んだ。
 
いみじくも壇上のパネリストの議員のように「あとで・・・」は、
会議に多くの時間ばかりを費やす日本の政治と同じである。
政治家や官僚は<即座に実践>をの姿勢を、
ひとりの女優の行動から大いに学んで欲しい。
日本の女優にもスターの姿勢を見習って欲しいが、無理かもね。

残念だったのはこの会議に、日本の閣僚が一人も出席しなかったことである。
会議の討論会は200ほどあり、<米国の指導力>をテーマとした討論会が9つ、
中国の討論会も同じ数だけあり、中国人民銀行の幹部や大学教授らも
パネリストとして名を連ねて存在感を示した。

このような重要な会議に日本から閣僚が出席しないとは、
グローバルな視点という観点から、
まだまだ発展途上国であると感じたことを思い出した。
その感想が今でも変わらないのはとても残念です。


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