第115回   住宅街のセールスマン

外出先から帰ってきた夫が言った。

「近ごろの年寄りにも困ったもんだ」
「あら、どうしたの?」

自分もそろそろそちらの入り口にさしかかっているというのに、
他人事みたいなその口ぶりがちょっとおかしかった。

「狭い路地に猛烈な勢いでジイサンが自転車を飛ばしてやってきた」
「近ごろではめずらしくないわよ、それくらい。困ったものね」

「ところがそのジイサン(どけ!どけ!あぶねーだろっ!)って怒鳴りながら
睨みつけ、ぶっつかりそうになって通っていった。
(あぶねーのはどっちだ、クッソ!)と思った」

どっちもどっちと思ったが、近ごろの高齢者はどうなってしまったの。

以前、ダイナマイト25本を抱えて病院を爆破しようとして乗り込んだ
70歳のジイサンが逮捕されたことがある。

その理由を聞いて、こちらが先にぶっ飛んだ。

「前夜、腹痛を起こしてその病院へ行ったが注射を打ってくれなかったから」

ダイナマイト25本に点火したら病院はまちがいなくぶっ飛ぶだろう。
命にかかわる腹痛でもあるまいし、
たった一本の注射を打ってくれなかったからと
そこまで気持ちを暴発させる人がいるのかと信じられなかった。

しかも分別をいくつも重ねた70歳という年齢である。
病院がぶっ飛んだらどういう結果になるのか、
その考えは頭の中になかったのか。

「たかが腹痛くらいで何さ!」

腹痛も侮れないが、病院が注射は必要がないと判断したのである。
その証拠に、翌日にはダイナマイト持参でお礼参りするほど元気がでたじゃないの。
無駄な注射なんか打ってもらわなくて良かったのよ。
医療費だってそれだけ安くすんだと思えば感謝しなくちゃならないのに。
頭のひとつも叩いて目を覚まさせたいくらい、本当に腹立たしいジイサンだった。

夫が出かけるときはいつも心配する。
変に正義感が強くて気の短い人だから、
こういうご時世には妻としては心配でならない。
だから必ず言い含めている。

「もし、気に障るような若者がいてもやたらと注意しちゃだめよ。
 今の若い人は何をするかわからないから。
 いきなりブスッっと刺されちゃうと怖いから」

しかし、これからはこのセリフにジイサンを加えなくては。

いやなことだけれど、こんなご時世には
「人を見たらドロボウと思え」も現実味を増してくる。

つい最近も、そのような現場に遭遇した。

住宅街は人気もなくいつものように静まりかえっていた。
曲がり角にきたとき、薄緑色の作業服の中年男性が、
左手にバインダー、右手にボールペンを持ち、
左右の家をキョロキョロ眺めながらやってきた。
それは電力会社の調査員のような雰囲気だった。

すれ違うとき、男性はわたしを一瞥した。
それはずんぐりむっくりの体型にはふさわしくない鋭さだったので、
わたしの好奇心の虫がムズムズと這い出してきた。

(ひょっとして、調査員を装った空き巣の下見じゃないの?)

天下の裁判所を舞台装置に使って、
堂々と大金をせしめるというサギ事件が起きたことがあるくらいだから、
住宅街で調査員のフリをするくらいは朝めし前かもね。

わたしは小説のストーリーのようなものはまったく作れない。
根がマジメ過ぎるので(?)無からウソは製造できない性質だから。
しかし、目の前の現象を見て想像を宇宙のように拡大させたり飛躍させるのは
大の得意である。

わたしは回れ右をして、男性の消えた方角へ曲がった。

角を曲がると、いきなり男性が視界に飛び込んできたのでドキッとした。
彼は角から二軒目の家のインターホンを押しているところだった。

わたしは男性の背後を意識してゆっくり通り抜けた。

「こんにちは、〇〇工務店の者です。
 今4丁目で工事をやっているのでついでにご挨拶にきましたぁ」

アレアレ、うちにもよく来るあの手の営業マンさんだったの?

そのあとすぐにまたピン・ポーンと背後で音がした。
「こんにちは、〇〇工務店の者です。
 今4丁目で工事をやっているのでついでにご挨拶にきましたぁ」

営業マンさんて大変だなあとつくづく思った。
でも「ついで」っていう言葉は営業用にはよくないんじゃないの。
しかしそれが手ならやっぱり使うしかないか。

そこで考えた。
チャイムを押して留守を確認するという空き巣の手口を聞いたことがあるから、
疑いは限りなく湧いてきてキリがない。
昔はこんな性格ではなかったのに、とつくづく思う。

それでも外国の旅先などではこの疑い深い性格がすごく役に立っているらしく、
あの手この手で旅人を騙そうとするつわものを数多くやり過ごしてきた。
今ではこれも生きていくうえの知恵と思うしかないと達観している。

世の中はいろいろな手を使ってあなたを待ち構えています。
お互いに注意いたしましょう。


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