第110回  世界の中心で日本を叫ぶ

以前から日本のマスコミの取材姿勢に疑問を感じていたが、
最近は特にひどいのではと思う。
社会の木鐸であるべきマスコミがこれでは、
日本の社会秩序が乱れても不思議はないと思っているけれど、
この暴走を止める手立てはないの。
その見苦しい取材ぶりは日本だけではなく、
世界に恥を晒しているようである。
 
一番記憶に残っているのは、
ジョンベネちゃん殺人事件のカーン容疑者が逮捕されたとき。
日本からの取材記者が現地取材で「ミスター・カーン、ミスター・カーン」と、
甲高い声で狂ったように連呼していたが、顔写真を撮るための方策なのか。
世界中のマスメディアが取材する輪の中での異様な態度で、
今や彼らは海外にまでその恥をさらけ出している。

恥だけではなく取材対象にまで多大な迷惑をかけている場合があり、
事件事故の被害者が二重のショックを受けるほど深刻な例も数ある。

取材対象が海外で被害を受けたことで記憶にあるのは、
海外遠征中の競走馬のディープインパクトに関する週刊誌の記事だった。

「周りの迷惑を顧みない日本のマスコミのために、厩舎を追い出されるかもしれない」とあったから、その影響が走りに出ないかと心配した。

わたしは賭け事の競馬にはまったく興味はないけれど、
競走馬のサラブレッドの走りの美しさに見惚れるフアンである。
競走馬と厩務員のドキュメンタリー番組を見たとき、
馬と人間の愛情とふれあいの深さは感動のひと言に尽きた。

ディープインパクトは3年前の10月、
フランスのロンシャン競馬場で開催される欧州最高峰のGI・凱旋門賞で
世界の強豪と対決することになっていた。
競走馬はとても神経質のため現地の環境に慣れさせる目的で、
試合の2ケ月ほど前からすでに現地入りしていた。

その模様をテレビ番組で見たが、
空輸作戦は航空会社で特注の機材を用意するほど気を使っていた。
1頭では寂しいとの理由で、わざわざお供の馬も同行。
日本の環境を保つために数トンの敷き草や飲み水まで日本から持ち込んで、
細部に至るまで気を使って当日に備えていた。

そのスタッフの努力を、日本から押しかけた取材陣が台無しにしようとしていた。
過熱取材が多くの人の苦労を踏みにじり、
過敏なサラブレッドに影響を与えないかを心配した。

記者の取材態度も問題だが、
それ以前に編集サイドのモラルや見識が問われる。

わかりやすい一例では、ヤンキースの松井選手が渡米した当初のころの取材には、
いつも疑問を覚え恥ずかしい思いをした。

松井選手がホームランを打つ、怪我をする。
そのつど取材陣はヤンキースの主力選手に、
松井についてどう思うかの質問を繰り返す。
彼らはみな紳士である。
松井がホームランを打てば褒め、怪我をすれば残念がる。
その心情は偽らざるものだろう。

しかし彼らの心中は、この愚問になぜ自分が答えなければならないのかと、
呆気にとられているはず。
微妙な表情でそれが伝わってくるのを感じた。

野球選手がホームランを打ったり怪我をしたりするのは日常茶飯事であり、
プロファッショナルの彼らにとって、
松井選手は気の良いチームメイトのひとりにすぎない。

だが日本のマスコミは「我が松井選手さま」の、日本人意識で凝り固まっている。
マスコミにとって欠かせない客観性や俯瞰を持つことが出来ないゆえに、
恥知らずの取材姿勢を貫いた。

現在は松井選手の取材も、
以前のように特別視する場面はそれほど見られなくなったが、
これは自重したというよりは、今では大リーグにも日本人選手の数が多いせいか、
あるいは松井選手の活躍の程度によるものか、
あるいは根本的に熱しやすくてさめやすいマスメディアの体質に起因するものなど、
別の要素に違いないと思っている。

海外で<日本>について取材をするとき、
同様な事例が多く見られるがそのつど恥ずかしくなる。
世界にとっての日本は特別な存在ではないことは、
外国を旅行すればそれを実感する。

しかし、取材記者にはそれがわかっていないようである。
もし確信犯だとしたらそれはもはや真実ではなく、
捏造に等しい情報でしかない。

彼らは客観性をもっとも必要としなければならない職業であるのに、
取材のスタンスは<世界の中心で日本を叫ぶ>である。

その無恥ぶりを、
取材姿勢という自身の姿を通じて世界に発信しているようです。


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