第109回  純情と開き直りの間のハンコ行政

今日は市役所へ住民票を取りに行ったが、
雨の日の証明書交付のロビーは閑散としていた。
交付窓口に張り紙があった。

<住民票の交付の際には免許証、保険証、パスポート等の
 身分が証明できるものを拝見します>

窓口の職員が「何か身分を証明するものを見せてください」と言ったので、
運転免許証を差し出した。
免許証を取得した時からの生え抜きのペーパー・ドライバーなので、
車の運転には少しも役に立たなかったが、
身分証明の際には存在感を発揮する、勘違い免許証である。

その免許証には前科を重ねた女囚のようなすごい面相の写真が貼ってあるが、
わたしばかりではない。
夫も場数を踏んだ凶悪強盗犯のような写真だから、
お似合いの夫婦ということになる。

みなさまは、ご自分の免許証の写真にご満足していらっしゃいますか?

他人の運転免許証を覗いた事がありますが、みなさんも似たりよったりのすごい形相で、
自分だけではなかったと安心するような写真が多いのはなぜなの?

わたしのパスポートの写真は、
アイドルタレントのようにちょっと首を傾げて愛想良く笑って撮った。
本来ならパスポートの写真の笑顔は<ブッ、ブー>のはずで、首を傾けるのもご法度。
この手の写真は厳密な審査の段階でハネられる運命だが、
なぜかスンナリと通過してしまい、こちらはそれなりに満足している。

さて、受付窓口の向こうもこちらもかなりヒマだったので、
世間話の代わりに以前からずっと気になっていたことを担当の青年に質問した。

「運転免許証は写真が貼ってあるので、目の前の本人の確認が取れますが、
健康保険証は写真が貼ってないのに、どうして確認が取れるのでしょう。
同じような年齢で同性の人が偽って窓口に見えても、分かりませんよね」

「そうですね。ボクもそう思います。厳密に言うと確認は取れないでしょうね」

えっつ?

その方は二十代後半くらいだろうか。
横を向いた途端にすぐに忘れてしまいそうな平凡な顔立ちだったが、
アイロンを丁寧にかけた目をしばたかせるような真っ白いシャツ、
髪は短めの黒髪で、とても清潔でキビキビした印象を受けた。

日本人の肌には、やはり黒髪が似合うようです。
神様が総合芸術でこしらえた作品だもの、
黄色の肌に黄金の髪は芸術作品としてはやはり色彩のセンスを問われるかも。
すこし明るいくらいの色合いならそれなりに似合うとは思っていますが。

脱線!

(いやだぁー。そんなに素直に認めちゃったら、それ以上、突っ込めやしない)

別にいじめるわけではないが、こういった場合は、きっと相手はクドクド言い訳をするのではと、
てぐすねをひいたりちょっと身構えたりするのが相場ですから。

しかし今回の場合、受け取り方は二通りある。

青年の印象が良かったので「まあ、とても素直な方」と思ったが、
もし印象が違っていたら「あらぁ、開き直ちゃったのね」となるはず。

いずれにしても、開き直られたりすると突っ込む力は確実に殺がれるようである。
浮気がバレた芸能人が「不倫は文化だ!」なんて開き直った記者会見を見ていて、
そう思った。

手ごたえのない現象を、ニンゲンは本能的に嫌うのだろうか。
豆腐の中にアタマを突っ込んでいるみたいだから。

そのせいか、不倫芸能人は「良識がない!」などと糾弾されるどころか、
「あっぱれ!」と風向きが変わり、その後は引っ張りだこで以前よりも人気が出たようである。

彼が「浮気はしていません」などと言っていたら、今ごろは週刊誌やテレビに喰いつくされて、
ハイそれまでよの運命だったのではと思っている。

そういえば我が家でも「あらぁ、そんな人だったの」と突つくと、
「ああ、そんな人だよ、知らなかった?」と開き直る。

しかし、純情でも青年でもない人の開き直りは、どうにもいただけない。

ところで、わたしはいつも必ず何か忘れるので、
免許証だけはしっかり用意したのに、肝心の印鑑を忘れてしまった。

担当の青年に「ハンコを忘れてしまったので、サインでいいですか」と聞いた。
もし拒否されたら
「ハンコはそこらで買えるけれど、サインはハンコより信憑性が高いのに、なぜ?」
と、こちらも突っ込むつもりで待ち構えていたら、彼は言った。

「あっ、ハンコは結構です」
「はぁ?」

ハンコ行政が、ハンコを必要としなくなった・・・。
少しは変化の兆しが見えてきたのだろうか。

その実感の欠片もないけれど。


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