第106回  幻の職務質問

以前のことですが、スーパーの前で木の枝に足を取られて転倒し、
顔の額を割り頬を削ったとき、
数日後に久しぶりに河川敷へ散歩に行った。

いつものように家を出るころには、そろそろ薄暗くなりはじめていた。
例によってあちこちのノラ猫ちゃんを相手にしてフラフラしていたら、
河川敷につくころにはすでに暗くなっていた。

この時刻は猫の餌やりオバサンが出没するころなので、
夏場だったら猫たちがゾロゾロと出ているが、
ちょうど寒い時期だったせいか、彼らの姿は見えなかった。

河川敷の土手沿いには住宅が連なっているが、
猫の餌場の近くはちょっとした畑と小さい納屋がある。
納屋の板壁は下の辺りが腐ってぎざぎざになっていて、
その隙間から覗き込むと中の様子が見える。
ゴザやら農機具みたいなものが乱雑に押し込められているが、
寒い時期は猫たちのたまり場になっている。
板塀のぎざぎざの間から中を覗くと、街灯の光が届くわずかな明かりの中に、
二匹の猫が寄り添ってうずくまっているのが見えた。

「あら、仲がいいのね」とか「お熱いこと、それなら寒くないわね」などと、
しばらくは会話と言うよりは独り言をブツブツ。

そのとき、まったく人気の無かった土手に、黒い影が近づいてきた。
すこし恐いと思いながら、納屋を覗いていた腰を上げてそちらを見た。

すぐそばまで影が近づいてくると、自転車に乗ったオマワリさんだった。
オマワリさんは人気のない暗がりの中に怪しいそぶりの人影を認めて、
一瞬、緊張したようである。
暗くて彼の顔の表情までは確認できなかったが、
その気配は確かに伝わってきた。

わたしはオマワリさんの自転車が背後を通り過ぎる直前に、
初めて相手がオマワリさんとわかったのだが、
影を認めた時点ではわたしも一瞬、緊張した。

暗くてお互いの表情も確認できないまま、
そのとき四つの瞳は闇の中で火花を散らしていたと思う。

しかし、オマワリさんはわたし背後を通り過ぎるとき思ったのだろう。

「なんだ、タダの変わり者のオバサンか」

わたしは顔面の半分を白いガーゼで覆っていた。
顔面強打の部分をかなりオーバー気味に保護していたのだ。

暗闇の土手で白いガーゼで顔の半分を覆った人物が、
納屋を覗き込みながら中腰になってブツブツ言っていたのだ。
普通なら怪しく思わないわけがない。
本来なら、間違いなく職務質問に相当する状況である。

しかし、さすがにオマワリさんはプロである。
目の前の人物の雰囲気をきちんと感じ取ってくれたのだと思う。
まさかオマワリさんが白いガーゼの顔面の女が恐くて、
職務質問が出来なかったとは思いたくないから。 

だから今回は「タダの変わり者」で済んだと思っているが、
同じ文字を使う「変」でも「変態」となると、ちょっと厄介である。

その厄介な変態が、毎日のようにニュースになっている。
教員、警察官、司法関係者等、なぜかお堅いといわれている職種による、
女子高生や児童のスカートの中の盗撮や痴漢行為である。

このような愚かな行為で、せっかくの地位や職場を一瞬のうちにして失い、
家族や縁者にまで恥をかかせる、馬鹿げた人たちがあまりにも多すぎる。
普通の人には理解できない行為だが、こんなにも多いのはなぜなの?

それにしても幻となった職務質問ではあるが、
オマワリさんの職務質問の態度を検証したり、
また後学のためにも一度受けてみたかったと思ったのは不謹慎でしょうか。

あなたは、職務質問を受けたことがありますか?

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