第105回   どこかおかしいのよね!

用事で久しぶりに電車に乗った。
新宿までわずか20分程度の乗車だが、
そこにもちょっとしたドラマを見ることができた。

わたしが乗車した駅から3つめの駅で母子が乗り込んできた。
母親は30歳半ばくらい、女の子は5歳くらい?
母親はサンタクロースが背中に背負っているような大きな袋を引きずっていた。
見かけほど重くはなさそうだが、
大きすぎるせいか少々持て余しているように見えた。

母親はそのままドアのところにいたが、
女の子はわたしの隣の席が空いていたのを素早く見つけて駆け寄ってきた。
彼女は「お母さん、お母さん」としきりに母親に声をかけて呼び寄せたので、
疲れているらしい母親を座らせてあげるのかと思ったら、
自分のそばに母親がいて欲しいので呼び寄せただけのようだ。
母親は反対側のドアから袋を引きずって来て女の子の前に立った。
腰を絞っていないそのワンピースの腹部を見て「おやっ?」と思った。

以前、このような状況で席を譲った前科がある。

前科?

そのとき、わたしの目の前に立った若い夫婦連れと思われる女性の
ワンピースの腹部が気のせいかすこし膨らんで見えた。
ちょっと迷いつつ「どうぞおかけになって」と席を譲ったが、
中年女性が自分の娘くらいの女性に席を譲る理由はひとつしかないはず。

女性は苦笑しながら言った。
「いいえ結構です、私は妊婦ではありませんから」

彼女は度量の広い人らしく、隣の夫の腕を肘でつついて
(まちがえられちゃった!)という素振りをして、
お互いの顔を見合わせて苦笑していた。
つまり、わたしにはこのような状況下での前科と、
それに伴うトラウマがあった。

今回、わたしはその母親の腹部をそれとなく注意深く見た。
新聞の投書欄でよく目にする
「妊婦の私に席を譲ってくれたのは外国人でした」が脳裏に蘇った。
そのような場合の日本人になりたくなかったので、
「どうぞおかけになってください」と、勇気を出して今回も声をかけた。
母親は「次の駅で降りますから結構です」と、
かなりさっぱりした調子で言ったので、
わたしもそれ以上は勧めなかった。

さて、次の駅に近づいたとき、
母親はまた大きな袋を大儀そうに引きずって先にドアの近くへ歩いて行った。
電車が停まりかけたころ女の子が席を立ち、
わたしの方をしきりに気にしている素振りを見せながらドアに向かって歩きかけ、
途中で振り返り「ありがとうございました」と頭を下げた。
わたしも頭を下げながら笑顔で応じた。

その子は母親の手を握り(あのおばちゃんがこうして頭をさげたよ)と言うように、
母親に自分の頭を下げて見せてからわたしを振り返った。
そのとき母親も振り返り「ありがとうございました」と頭を下げた。
わたしは思わず「おじょうちゃんはお利口ですね」と言った。
母親も女の子もとてもうれしそうな顔をして開いたドアの外に出て行った。

子供がゴルフの天才児であっても、凶悪な少年事件の犯罪者であっても、
大衆は「親の顔が見たい」と興味を募らせるが、
わたしの場合は目の前に親がいた。

しかし疑問に思った。

子どもの道徳教育は親次第と思っていたが、
この場合、先にわたしに頭を下げて礼を言ったのは子供の方である。
親はその流れでわたしに礼を言ったので、
親の背中を見て子供は育つという格言は当てはまらなかったわけだが、
この子の躾けはどこから来たものなのか、その背景に興味が募った。

しかし、思った。

きっとお母さんは疲れていて気が廻らなかったのだ。
いつもならばきっと子どものお手本になっているに違いないと思ったから、
わたしの褒め言葉が少しでも慰めになってくれたらと願った。

ところで、新聞の投書欄に幼児の手を引いて電車に乗った際の
若い母親の投書があった。

<子供に席を譲ってくれたのは外国人でした。お礼を言うとその方は言いました。
あなたが手を引いているのは日本の将来を担う大切な宝です>

参ったなぁ。
日本人よりも日本人をしている外国人がいるじゃない!

ちなみに、わたしの近くのシルバーシートには、
30歳くらいの男性が大股を開いて雑誌を読みふけり、
その前ではつり革を握った中年女性とその母親らしい白髪の女性が立ち、
おしゃべりに夢中になっていた。
高齢者であっても元気な彼女らにはシルバーシートは不要なのだろうが、
なぜかこの光景に違和感を覚えた。

どこかおかしいのよね!

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