第104回  偏向報道と裏声騒ぎ

夏の全国高校野球選手権大会は夏の風物詩の感があるが、
この時期になるとハンカチ王子と言われたひとりの高校球児に対する
世間の浮かれ状態を思い出す。
特に中年主婦層とマスコミ報道のフィーバーぶりはひどすぎた。

ずっと暗いニュースばかりであり、
彼の登場はひさしぶりのさわやかな話題であったから興奮するのはわかるが、
それにしても限度がある。
主婦層の特に中年主婦層の狂態は、
若者が可愛いアイドルに夢中になり我を忘れた状態にも似ていたが、
あらためてそれを思い出したのは同様な現象が今でも続いているから。

当時、中年主婦層が「キャー、ゆうちゃん」と叫び、
マイクを差し出されると「見た! 見た! 見た!」と、
ボギャブラリー不足の甲高い裏声を張り上げ、ツバを飛ばし、
興奮が満開状態で見ているほうが恥ずかしくなった。

騒ぎの主役、早稲田実業高校の斉藤祐樹選手の主婦層の人気ぶりについて専門家は
「同じ年ごろを持つ親として、自分の子供もあのように育ってくれたらとの願望がある」
と分析していたが、
騒いだからと自分の子供がそうなれるわけでもないだろうにと思った覚えがある。

むしろ「この親にしてこの子あり」で、それにふさわしい子供が育つかも。
しかし、「反面教師」というものもある。
案外、母親の狂態を醒めた目で見ながら、
ゆうちゃんのようにお行儀良く育つ可能性があるかもしれないが、
あまり期待しないほうがよろしいかも。

一方のマスコミの加熱と偏向報道も救い難かった。

話題の主役の情報をより多く流すのはわかるが、
他の球児を無視するとはどういうことなのか?
付け足しのように駒大苫小牧の田中投手が準主役で登場したが、
独り芝居のような特殊な出し物を除いたら、
舞台はその他大勢の配役も登場しなくては成り立たない。
一人だけに集中的にスポットを当てた取材内容には、その姿勢が欠落していた。

それを最も強く感じたのが、日米高校生の親善試合の同行取材時の内容だった。
斉藤選手の出番がない試合で、他の選手の活躍により大差で勝った。
その試合の中継は、ベンチで応援する斉藤選手の映像ばかりを映し出した印象があった。
あまりにも恥ずかしい取材内容だったが、
これを許しているチエック機能はどうなっていたのか。

これらはかつての巨人の野球報道にも共通するものである。
今は巨人の人気が凋落したためかその傾向はなくなっているようだが、
以前の報道は巨人が勝って報道するのは当たり前だが、
負けても「巨人が負けた」が大きく報じられ、
勝った相手チームの報道は後からつけたしの感があった。

先日の、プロゴルフの全英オープンでもその姿勢は変わらなかった。

NHKのニュース番組で初日に21位につけた石川遼選手の様子を放映した後で、
2位につけていた久保谷健一選手について触れた。
21位の石川選手のパッドの様子などは踏み込んで放映したが、
彼よりはるかに好成績の久保谷選手については、
結果だけを告げるような薄い印象であったが、
日本人として快挙と言われる好成績を取った選手を先に報道するのが
ニュースの役割ではないのか。
民放ならば視聴者の興味を優先し、
人気者にスポットを当てる御用報道とすでに承知して諦めているが、
NHKのニュース番組の報道姿勢として違和感を覚えた。

このような偏向報道がスポーツの世界に限られるなら無視も出来るが、
他の分野でも同様な取材姿勢がとられているような印象もあるから、
症状としてはかなり重い。

流行に飛びつき流されやすい国民性が、
偏向報道に疑問を感じることもなくマスメディアに操作されるがままだとしたら、
このような状況が人を裁く裁判員の立場や選挙結果に反映するとしたら怖い気がする。

渋谷の繁華街で斉藤投手について、
今どきの同世代の少年少女にインタビューをした映像が流れた。

少年は言った。
「おれらと同じ年なのに、すごく落ち着いていてクールで、かっこいい」

少女は言った。
「同じ年なのに、大人みたいなことを言えるからすてき!」

オバサン連の「キャー、見た! 見た! 見た!」より、
今どきの青少年の方がはるかに冷静に分析していてボギャブラリーも豊富だった。

すこしは見習って欲しいと思いましたよ。

メディアの主役の交代はめまぐるしく、
かつてのハンカチ王子も<あの人は今>の分野に追いやられた感があるが、
今の中高年女性の主役はさしあたりゴルフプレーヤーの石川遼選手なのだろうか。
最近のテレビで石川選手の追っかけをしているという主婦は、
インタビューのマイクに向かってあっけらかんとした笑顔で声高に言った。

「このあいだまではヨンさまだったけど、今は遼クン!」


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