ハウスキーピング・オペレーション
第5話 ルシーダ様危機一髪
ルシーダ様はとても美人です。 |
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「駄目。気に入らないわ」 ルシーダ様が最後のお見合い写真を放り投げました。 テーブルには先に投げ捨てた九枚の写真が散らばっています。これで十人斬り達成です。 「ルシーダ様。何がお気に召さないのでございますか? せめてお会いするだけでも」 「わたくしは、こういったひょろひょろした男は好きになれないの」 「この前は元船乗りの実業家の方をご紹介いたしましたが?」 「実業家? 香辛料で一山当てただけじゃない。エセ成金はもっと嫌」 取り付く島もありません。 「それより、わたくしはそろそろ出掛ける時間なのよ、マレーネ」 ルシーダ様は壁の大時計を指して言いました。 いつものようにパーティへ行く時間です。 「申し訳ございません。すぐにお召し物をお持ちいたします」 「今夜は赤の気分よ」 「承知しました」 マレーネさんはルシーダ様のドレスの準備に向かいました。今日は赤いドレスみたいです。 「ふぅ。結婚相手くらい自分で探すわよ」 マレーネさんの姿が見えなくなるとルシーダ様は安堵の溜息を漏らします。 「それに、結婚しなくても幸せになれるわ。――そうでしょう、メリッサ」 「えっ? は、はい。そうですね」 と答えてしまってから、わたしは慌てて首を振りました。 「ダメです! 結婚できないよりはできた方がきっと幸せです!」 「分かっていますわよ。いい相手を見付けたら、惚れ薬を使ってでも捕まえてみせますわ」 「そんな薬は邪道ですよ、ルシーダ様」 そうそう。研究室がなくなってしまったエミーナ様は、最近は書庫で錬金術の勉強をしています。 やっぱりお風呂には入りません。すっかりダメ人間のエミーナ様です。 「何の薬の話でしょうか?」 デザインの違う赤いドレスを何着か持って、マレーネさんが戻ってきました。 「それじゃ、わたしはお仕事に戻りますね」 「待ちなさい、メリッサ」 あとはマレーネさんにお任せして夕方のお仕事に向かおうとしたら、ルシーダ様に呼び止められました。 「出掛ける前に紅茶を飲みたいわ」 「はい」 ルシーダ様は紅茶がお好きなんです。 「ちょっとだけ待って下さいね。これを運んだらお仕事に戻りますから」 「はいぃ」 トレイに紅茶を乗せて運んでいる途中で、わたしを探していたクララちゃんと出会いました。 お屋敷中のカーテンを閉める夕方のお仕事はクララちゃんと一緒です。 「るしーださまはこんやもぱーてぃーにいくのですかぁ?」 「そうですよ。飽きないですよね」 「きっとぱーてぃーはたのしいのですねぇ。わたしもいってみたいですぅ」 「ルシーダ様が行くのは社交パーティですから、行ってもつまらないですよ。ルシーダ様くらい綺麗だったら男の人が放っておきませんけど」 クララちゃんがパーティーに出席するのは、もうちょっと大人になってからですね。夜になると眠くなっちゃいますし。 「めりっさちゃんもぱーてぃーにいったことがあるのですかぁ?」 「ええと……はい。何年か前に、ちょっとだけですけど」 「めりっさちゃんはかわいいから、おとこのひとがあつまってきましたか?」 「わたしなんてダメですよ。人気投票のとき、わたしもクララちゃんと同じ五位だったじゃないですか」 ルシーダ様の思いつきで、お屋敷にいる女性の人気投票をしたことがありました。お屋敷で働いている男の人が一票ずつ女の人の名前を書いて投票したんです。 もちろん、トップはルシーダ様でした。有効投票数の三分の一を独占です。 二番人気はミズキちゃん。ルシーダ様より大人っぽいところが人気の理由です。 続いて三番はエマイユちゃん。ルシーダ様やミズキちゃんより少し控えめなところが得票につながりました。 四番目にようやくエミーナ様です。ちゃんとお化粧すればルシーダ様と並ぶくらいの美人なのにもったいないです。 そして、五位以下はみんな同点でした。わたしもクララちゃんも、みんな仲良く一票ずつです。 マレーネさんも一票なので同じ一票のコリーナちゃんはショックだったみたいですけど、マレーネさんだって美人なんですよ。若い頃の写真はミズキちゃんと同じくらい美人でした。 あと、なぜかエルクさんの名前を書いた紙が二枚も投票されていました。だから本当はエルクさんが単独五位です。でも、男の人なので失格です。 ルシーダ様は男性の人気投票もしようと言っていますけど、きっと一位になるのはエルクさんですね。二番は、庭師のマーリスさんか、御者のミルコフさんでしょうか。見習いコックのホウレイ君も可愛い顔で人気がありそうです。 でも、わたしが投票するなら……。 「あぁ」 クララちゃんが立ち止まりました。 「どうかしたんですか、クララちゃん?」 わたしはトレイを持って歩きながら首を後ろに向けました。 「あぶないですぅ」 「何が危ないんですか?」 「ぶつかりますぅ」 「ぶつかる? ……きゃうっ」 わたしは廊下の曲がり角で、わたしの反対側からやってきたエネミーさんと出会い頭衝突してしまうところだったんです。 「おおっと」 エネミーさんは意外にも軽やかなステップでわたしを避けます。 わたしもトレイのバランスを取って紅茶をこぼさずに済みました。 「済みません、エネミーさん。急いでいたものですから」 「いえいえ、私も考え事をしていましたので。では、失礼しますよ」 エネミーさんは早足で廊下を曲がって玄関の方へ向かいました。 「めりっさちゃん、こうちゃはだいじょうぶですかぁ?」 「大丈夫ですよ。わたしたちも早く行きましょう」 そういえば、わたしは一年くらい前、ご主人様が病気で亡くなる少し前に、エネミーさんの紹介でやってきたお医者さんに紅茶をこぼしてしまったことがありました。 そのせいで、お医者さんはご主人様のために用意した薬を床にこぼしてしまったんです。お医者さんとエネミーさんの慌て方から考えると、きっと目が飛び出してしまうくらい値段が高い薬だったんだと思います。 もう二度と、あんなことがないように気を付けないといけませんね。 クララちゃんを廊下に残してお部屋に入ると、ルシーダ様はダークレッドのイブニングドレスに着替えているところでした。 失敗です。 「メリッサさん。ノックを忘れていますよ。ルシーダ様がお召し替えの最中であることは分かっていたはずですね」 案の定、ドレスの着付けを手伝っていたマレーネさんに注意されてしまいました。 元々は礼儀作法のお勉強のためにメイドをしていたのに、わたしはちっとも礼儀作法が身に付いていません。ルシーダ様は気さくな人ですから少しくらいの無礼は気にしませんけど、マレーネさんは別です。 「済みません、マレーネさん」 「謝罪の相手は私ではないでしょう」 「あっ、はい。ルシーダ様、申し訳ありません」 「いいのよ。マレーネが厳し過ぎるだけなんだから」 着替えを終えたルシーダ様は大鏡の前で自分の姿を確認しています。真っ赤なドレスがとってもお似合いです。 「かっちりした礼儀作法なんて堅苦しいだけだもの。適当でいいわよ」 「何をおっしゃっているのです。ルシーダ様がこの調子ですから、メリッサさんも礼儀作法が身に付かないのではありませんか。ルシーダ様もどこかでメイドとして働きになって、貴族の子女としての礼儀作法を学ばれるべきでした」 「そ、それより、紅茶が冷めてしまいますわ」 旗色が悪くなった途端にルシーダ様は話を変えてしまいました。 「メリッサ、持ってきてちょうだい」 「はい。ただいま」 気を取り直したわたしは紅茶のトレイをテーブルに置こうとしました。 ところが、気を付けようとさっき心に刻み付けたばかりなのに、わたしは絨毯に足を取られて転んでしまいました。 トレイがひっくり返って、こぼれた紅茶が絨毯に広がって染みを作ります。 それどころか、飛び散った紅茶はルシーダ様のドレスの裾にまで届いてしまいました。 「ああっ! すっ、済みません、ルシーダ様!」 わたしはドレスのスカートに掛かった紅茶を急いで拭き取りましたが、もう染みになってしまいました。ルシーダ様の綺麗な足が火傷しなかったことだけが不幸中の幸いです。 「本当に申し訳ありません、ルシーダ様。ドレスと絨毯はわたしが弁償しますから」 わたしは深々と頭を下げました。いくらルシーダ様でもこれにはお怒りになったはずです。 「弁償ですって? このドレスがいくらすると思っているの? あなたのお給金三ヶ月分ですわよ」 ルシーダ様のお声が、いつもよりずっと厳しく聞こえます。 わたしの実家にお願いしてお金を送ってもらうこともできますけれど……わたしは家出してきたようなものですから、実家に迷惑は掛けられません。 「半年でも一年でも、ただ働きします」 「明日から働けるのね?」 「はい。必ず」 「そうじゃなくて、あなたは火傷しなかったのね?」 「は、はい……。大丈夫です」 わたしはルシーダ様の綺麗な顔を間近に見てしまって、ちょっとドキドキしながらうなずきました。 「それなら構いませんわ。このドレスも着飽きてきたところよ。処分するきっかけができて丁度良いくらいですわ」 「えっ? ルシーダ様……?」 「もう一度着替えますわ。急ぎなさい」 「はい!」 ルシーダ様の二度目のお着替えが終わって部屋を出ると、待っていたクララちゃんは半分眠っていました。良い子は早く眠くなるんです。 だから、クララちゃんには先にお休みなさいしてもらうことにしました。カーテンを閉めるのは一人でもできますから。 お仕事が遅くなるついでに、わたしもマレーネさんと一緒にルシーダ様のお出かけを見送ることにしました。馬車に乗るルシーダ様を玄関でお見送りするんです。 ところが、いつもは玄関前で待っている馬車が、今夜はいません。 「遅いですね、ミルコフさん」 御者のミルコフさんは無口な人ですけど、仕事に忠実で、サボるなんて考えられません。一体どうしたんでしょう? 「ところでメリッサ、いつまでそれを抱えているつもり?」 ルシーダ様が言った「それ」というのは、わたしが紅茶をこぼしてしまったドレスです。処分するように言われたんですけど、捨てずにそのまま持ってきてしまいました。 だって、このドレス、捨てるなんてもったいないんです。生地は濃い目の色だから紅茶の染みはそんなに目立ちませんし。 「さっさと雑巾にでもしていいわよ」 「雑巾はちょっと……あっ。来ましたよ」 ようやく馬車がやってきました。 ミルコフさんは玄関前で馬を止め、御者台から降りて馬車の扉を開けます。 「マレーネ、メリッサ。行ってくるわ」 「はい。行ってらっしゃいませ」 「気をつけて下さいね、ルシーダ様。ミルコフさんも……」 ……あれ? 「今夜はミルコフさんじゃないんですか?」 そうです。この御者さん、ミルコフさんじゃなかったんです。 ミルコフさんに似てますけど、良く見ると別人です。初めて見る御者さんです。 「えっ? い、いや、そのですね。ミルコフが急に風邪を引いてしばらく休みを取るから、代理を頼まれたんですよ」 「それはいつのことです? 私は聞いておりません」 マレーネさんは偽御者さんの嘘をすぐに見破りました。 使用人の雇用に関することはマレーネさんが管理しているんです。そのマレーネさんがミルコフさんのお休みを知らないはずありません。 「どういうことか、説明して貰える?」 ルシーダ様が偽御者さんに厳しい声で詰問しました。 「ひっ……!」 偽御者さんは馬車を走らせて逃げ出そうとしましたけど、 「逃がしません」 ルシーダ様は一瞬で御者台に駆け上り、偽御者さんを引き倒して、背後から首を締め上げてしまいました。 実は、ルシーダ様は体術の心得があるんですよ。そうでなくちゃ、マレーネさんがボディガードも付けずに外出させません。 「ぐ、ぐぇ……」 偽御者さんは口から泡を吹いて気絶してしまいました。 「ふん。マレーネ、後は頼むわ」 ルシーダ様はマレーネさんの前に偽御者さんを放り投げると、ドレスの裾に付いた埃を払いながら戻ってきました。 「今夜のパーティー行きは中止よ。何度も着替えて無駄だったわね」 「お怪我はありませんか?」 「当然よ」 ルシーダ様は優雅な足取りでわたしの横を通り過ぎます。どこにもお怪我はなさそうです。安心しました。 「でも」 と、ルシーダ様はわたしを振り返ります。 「でも、あなたが気付いたおかげで助かったわね。何か特別ボーナスをあげようかしら」 「えっ? そんな……わたしはただ、ミルコフさんと違うって思っただけです」 「それだわ。あなたが大切そうに抱えている、そのドレス。染みを落とせば使えるでしょう? それをあげるわ」 「は、はいっ。ありがとうございます」 せっかくのドレスが雑巾にならなくて良かったです。 ……わたしには似合いそうにありませんけど。 二十分後、馬小屋の奥で縛り上げられているミルコフさんが見付かりました。無事で良かったです。 |
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