2001年夏。大阪の旅 編(その3)
 んで、カップ麺を食べ終わってカラオケ屋に帰ってみれば、室内で元気に歌ってる人はもう2人ぐらいしかいなかった。あとはもうみんなくたばっちゃってるし死人量産中って感じ(それは1次会&2次会か)。あたしもそれを見て何だか眠くなり、椅子を2つ引き寄せてグーとお休みモードに入ってしまったのであった。でもしんから熟睡できたわけじゃない。カラオケであたしの知ってる歌がかかり出すと”あ、これ知ってる”とかって指先でリズム取ってみたり、一瞬うす目を開けて誰が歌ってんの?ってさりげなくチェックしたり−

 どれくらい寝た(意識を失った)だろう。
「3次会終わりでーす。みなさん出てくださーい。」
の声で目を覚ました。あたりはもう”戦(いくさ)のあと”といった風情。床で寝てる奴はいるし、コップ割れてその破片の上で大の字になってる奴はいるし。あたしも若干頭がふらふらしたが、とりあえず呼びかけに従って店を出た。もう外はうっすら明るい。時計を見ると朝5時だった。全体的に会の進行は前倒しで進んでいたが、最終的に終わる時間は結局一緒だったようだ。

 やがて(ほぼ)全員がカラオケ屋から出て来て、おっくうさんの音頭のもと
「それでは来年の夏も大阪で再会することを約束して、いっぽんじめー!」
「ヨーオ!」パン!
「お疲れさまー」
「お疲れさまでーす」
「また来てねー」
てんで、楽しい余韻を胸にみんな解散。あとはめいめい駅に向かったりなんなりして、それぞれ帰路に着くこととなった。

 さてあたしは・・・とりあえず南海なんば駅までたどり着いたけれど、コインロッカーが開く午前7時にならないとどうにも身動きが取れない。それまで何してようかなあ。
 とその時、この駅の近所に、あたしの愛読書「列島縦断 へんな駅!?」(発行−山海堂)に収録されていた駅−汐見橋駅(南海電鉄高野線−通称汐見橋支線)があったのを思い出し、ついでだから行ってみようと思い立って、歩いて10分程のその駅へ向かうことにした−

 んにしてもなぜ汐見橋駅が変なのか!?その本によると”大阪のど真ん中なのに自動券売機もない始発駅”なのだそうだ。他にも、改札口は自動改札ではなく昔ながらのスタイルだとか、改札口に駅周辺の観光案内図がかかっているけどそれは昭和30年代のものだとか、まあ詳細は省くけどとにかく変らしいのだ。んにしても、せっかく大阪に来たのに、USJとか通天閣とかには目もくれずこういう所に来てしまうあたり、鉄道マニアであるあたしの面目躍如といったところか。

 なんてことを考えているうちに汐見橋駅にたどり着いた。本に書いてあった通り、そこはまさに、とても大阪の繁華街ど真ん中にあるとは思えないような駅だった。コンクリの壁はすすけだってるし、例の昭和30年代の観光地図はいいだけ色あせてひび割れしてるし(ほんとに「この案内図は昭和30年代のものです。現在の路線案内については係員におたずね下さい」と書いてあった!)。その本が書かれた頃と違い、さすがに切符の自動販売機は設置されていたが、それでも十分変であることが実感できる駅だった。たとえて言うなら大阪のど真ん中に夜9時過ぎの西弘駅があるようなものか(ローカルネタで失礼)。

 さて、そのような一見ローカル線の駅っぽい汐見橋駅だが、さすがに大阪のど真ん中。もう初電は始まっていた。だが、さっさと電車に乗ってなんば駅に戻ったところでまだコインロッカーは開いてない。それであたしはしばらくぼーっと待合室の椅子に座り、今回の旅までにあった出来事をいろいろと思い返していた。生演隊のために今日までいろいろと準備を進めていたこと。この道中の旅費をひねり出すために日曜までお客さんの家を訪問して保険を取ってお手当を稼ぎ、その帰りにそのお客さんから半ば交換条件のような形で体形補正下着を勧められて、あやうく購入させられそうになるところをほうほうの態で逃げ帰ったこと(5時間引き留められた)。また、別のお客さんで保険入ってくれた人がいて、そしたらあたしにお手当が3万円ちょいついたので、御礼と称してゼリー送ったらご丁寧なお礼状が来てうれしかったことetc−

 今日で全てが終わったのかなあ。いや、終わりじゃない。春の東京のOB会があるし、自分とこの弘前大の前夜祭&パーティだってある。今日からがまた新しい始まりなんだ。また前を向いて頑張らなくちゃ。

 そう考えてあたしは立ち上がり、目の前にやって来た電車に乗った。だか、やがて動き出した電車に揺られると、やっぱり今日でひとまずすべてが終わってしまったような気がしてさびしかった。そして一度乗り換えて、なんば駅に到着。その頃にはもう、コインロッカーも開いていたので、荷物を取り出し、さあこれでいつでも出発準備完了。だが、ここへ来て急にまた、大阪を離れるのがさびしくなって来た。もう大阪市内観光をするほど体力は残ってないけれど、まっすぐ去って次の目的地に行くのは惜しいって感じ。それに、関西仕様のうす味どん兵衛を職場のみんなにお土産に買って帰らなきゃ(笑)。あーでも買物行く気力はないし、それを持ち歩く体力もない。よしんば買ったあと郵送するにしても、もう送れる場所探すのも荷造りするのもいや。なんたって昨日も今日も寝てないようなもんだしなぁ。疲れた。
 なんてことをぐるぐると考え、今回は関西味付けカップ麺はお預けということにしてしまった。職場のみなさんごめんf^_^;

 そしてさらに30分ばかりジベタリアンしてOB会の余韻にひたり、それからおもむろに新幹線乗り場へと向かった。今日の宿泊地は長野県飯田市。新幹線で豊橋まで行ってその後特急伊那路で飯田までというルートである。それで改札を通った時
「まもなく、東京行きこだま号、発車しまーす」
おおおー!ちょっと待ってえーっ!あたしってば、のんきにジベタリアンなんかすんなってばよーっ!(しかもこのこだまを逃すと次のこだまは1時間以上あと。おまけにひかり・のぞみは豊橋には止まらない)合計18kgの荷物をしょった若い娘走る走る(だいたい時刻表も見ないで行き当たりばったりに行動するあたしが根本的に間違ってんだよな笑)。

 なんとか新幹線に乗り込んで5秒後、ドアがプシュンと閉まった。とりあえず自由席車両へ行って荷物を置き、どっかりと席に腰掛けて後ろへと飛んで行く窓の風景を眺めていた。そして
”さらば大阪。また来年必ずここへ来るよ”あたしはそう誓い、ゆっくりと目をつむったのだった−

 あたしの旅物語自体はまだまだ続くけれど、全日OB会編はとりあえずここまで。きっとみなさんにはまたみなさんの別のストーリーがあるかと思います。んにしてもみなさんこんな長い文章にお付き合い下さってありがとうね。それではまたOB会etcでお会いしましょう。再見!