Candle in the Wind〜その2

  やがて人もそろい、お供えする花束もできあがったので、総勢15人(※未成年者除)で”お宅訪問”に向けて歩き出すことになりました。駅からは歩いて約1km。 15分もありゃ着く距離である。
 だが、誰かがひとこと−
「ねえ、なんかあたしら目立ってない?」
 確かに。道行く人が”何だ何だ?”とかって見ているような気がする。まあ、この集団みんな、喪服とまではいかないが地味目の服を着て歩いているからね。 「黒の軍団」と言えばかっこいいけれど、要するに弔問に向かう群れなんだし、確かに繁華街を歩く集団にしては異様である。
 でも、二人の子連れ(ヨシロウくん2歳、マコちゃん3ヶ月)で来た先輩キミコさんが
「いーじゃん別に。私らは重大な使命を帯びて歩いているんだから、気にしない気にしない。」
重大な使命。確かにそうだ(笑)。
 そんな感じで、みんな胸中はさまざまな思いを抱えていても取りあえずは楽しく懐かしげにおしゃべりをして道中を歩いていた。だが−
 クリハラさん宅がだんだん近づくにつれて、みんな口数が少なくなり、歩くスピードも遅くなって来た。
「………」
うつむきがちにゆっくりと歩く私達。すると
「いや〜、だんだん足が重くなってきたな。」
 私の隣を歩いていたナギサくん(男)がぼそっと口にした。このナギサくん、最初は
「みんなで行ったら泣きそうだから一人で行く。」
と言っていた人で、けれどもみんなで
「抜け駆け禁止!」
とか
「泣かずにすむとは誰も思ってないよ。」
って止めさせて、結局今日みんなと一緒に来させることになったんだよね。でも、そのセリフ−
「……やっぱりみんなで行ってよかったじゃん。一人じゃ家の前まで行ってもベルを鳴らせずに引き返しちゃったかも知れないしさ。」
私が言うと、ナギサくんは無言でうなずいた。

 やがて、クリハラさん宅に到着。今日のご訪問を呼びかけたノジマ先輩(キミコさんのご主人でもある)が代表して玄関のベルを鳴らした。
 少しすると扉が開いて、クリハラさんによく似た顔のご年配の女性が顔を出した。おそらくこの方がお母様だろう。
「本日は遠い所カズシ(クリハラさんの下の名前)の為にようこそお越しくださいまして……」
 そういうと女性は深々と一礼した。やっぱり。
私達は
「はじめましてこんにちわ。」
「この度は急なことで……」
「すみません大勢でうかがいまして。」
口々にご挨拶&お悔やみを申し上げてぞろぞろと上がり込んだ。
 そして、取りあえずみんな茶の間のテーブルにつき、室内にもう一人いた女性がお持ちして下さったお茶を飲む(のちに、この方はお隣りに住むお母様の妹さんだと 聞かされた)。
 しんと静まり返った室内に響き渡るお茶をすする音。
 やがて、みんながお茶を飲み終わった頃にお母様が
「それではカズシとお話ししてあげてください。」
とうながしたので、私達は順々にお線香をあげさせていただくことになった。
 ひとり、またひとりとひざ立ちでお仏壇に歩み寄り、お線香を立ててゆく。
 目を閉じたまま目尻から涙を流す人。
手を合わせたまま何分も身じろぎもせず動かない人。
 みんな思いはいろいろだった。その時
「ううっ。」
ひときわ大きなむせび声が背後から聞こえてきた。誰かと思って振り返ると、声の主はお母様だった。

 お母様は台所の床にかがみ込み、私達に背中を向けて肩をふるわせて泣いていた。その背中には”泣く”という行為だけでは表現しきれないほどの深い悲しみが にじみ出ているようで、その姿を見るとそれまでは
”一番泣きたい遺族が涙をこらえているのなら、私は絶対泣いてはいけない。”
と強く自分を律していたのが一気に崩れ、私まで目頭が熱くなってきてしまった。
けれどもここでまた登場(?)するのが子供達。
 年頃が近いこともあってかタクくんとヨシロウくんは意気投合したらしく、今度は2人で
「○○ライダーだぞお〜。」
とかってそこらへんを走り回っている。
それを見ているとふっとほほえましくなり、何とかかろうじて涙をこぼさずにすんだ。私はまたも子供達に救われたのであった。

 やがて私の番がやって来た。

 それまでは何だかこわくてずっと下を向いていた私であったが、ここで始めて顔を上にあげてクリハラさんと対面した。
  簡単な祭壇の上には位牌とお供え物とみんなが立てたお線香。そして遺影もあったが、私の想像に反して遺影は”いかにも”な黒縁黒リボンの額入り写真ではなくて、 普通のスナップ写真だった。
 写真のクリハラさんは、こっちを見て笑っていた。
そして、祭壇の一番奥には骨箱と、分骨用ののど仏の入った小さな袋‐
”これは、現実なんだろうか?”
奇妙なことに、これほどまでに明白なクリハラさんの死の証拠を突きつけられた瞬間、私は
”クリハラさんはまだ生きている。お線香なんてあげたくない!”
と大声をあげて逃げ出してしまいたくなった。
 だけどまさかそんなことを口にするわけにもいかず、かといってここまできてお線香を上げずに座布団をおりるわけにもいかないので、 半分夢うつつのような気持ちで1本お線香に火をつけると炉に立て、目をつぶって手を合わせた。

 10年前のあの時彼からもらった手紙。
そこには
”自分のボーカルに自信を持っていいんだよ”
をはじめ、いろいろなことが書かれてあった。
 でもって、手紙には自分で編集したというカセットテープもセットで一緒についていたのだが、そこには
”テープを聞きながら読んでください”
みたいなことが書いてあった。それを読んだ時、実は私は
”何て痛い男なんだ”
と思ってしまったのだ。さすがに彼も
”これは寒い”
と思ったのかどうかは知らないが、後年
「ナッキー、あの時俺が送った手紙、捨てちゃってよ。」
と言ってきた。だけど、そう言われたからって
”はいそうですか。じゃあ捨てます。”
と言えるほど私だってドライではない。
”そんなこと言われてもなあ”
と迷っているうちに今日、こんな形で再会することになってしまって‐

思えば彼ほど純粋でナイーブで、不器用なくらい真っ直ぐな人間はいない。
けれども私はその頃子供で、そんな彼を何一つわかってあげることはできなかった。
わかってあげられないどころか、振り回して泣かせ、傷付け、それだけだった。
やがて月日は流れてクリハラさんも私もお互い別の人と付き合い始めて−
そして今、私はクリハラさんの遺骨の前にいる。
これはいったいどういうめぐり合わせなのだろう。
どうして昔もっとやさしくしてあげられなかったのだろう。
生きているうちに、わかってあげられなくてごめん。
私はそんなことを考えてずっと祭壇の前で顔も上げずに手を合わせ続けた−

 やがて全員がお線香を上げ終わったので、お食事をごちそうになることにする。
本当は最初、みんなでどこかでお昼を食べてからクリハラさん宅にお伺いする予定で、あまり長居をするつもりはなかったのだが、お母様の
”カズシと一緒にお食事してあげてください”
とのご希望もあり、そういう運びになることになった。したがって今、おなかの状態は空腹である。
けれども、当たり前だが状況が状況なので、豪華な仕出のお膳を見ても”さあ食べるぞ”みたいな気分にはなれない。
「いただきます。」
誰ともなく言い始めるとみんな黙々と食べ物を口に運ぶ。けれどもさすがに私も半分近くは残してしまった。

 そして遅めの昼食が済んだあと、ノジマさんご夫妻とシオリちゃんが
「申し訳ありませんけど子供が窮屈がっているので、いったん近くの公園で子供を遊ばせてきます。」
と言って子供をつれて外に出て行ってしまったのであった。
 とたんに静寂に包まれる室内。
子供のざわめきがないからというのもそうだが、お母様に弔問客代表で御挨拶をして
「クリハラくんはとってもいい人でみんなに愛されていました。」
みたいな座持ちをやっていたのがほとんどノジマさんご夫妻だっただけに、そのお2人がいなくなるともうどうしていいのかわからない。
 外の公園ではノジマさん&シオリちゃんのそれぞれ親子が
「ぼくねー、うめぼしバーガー作ったのー。食べてー。」
「おいしいねー。」
なんて会話をしていて、
”う、梅干しバーガーって何!?”
とか思いつつ外の方はそれでもわりかし楽しそうだけれど、こちらは外とは正反対にひたすら重い沈黙があたりを支配する。
 刻一刻と過ぎてゆく長い時間。
”どうしよ。なんかしゃべった方がいいのかな。でも出しゃばるのもなんだし・・・・・”
 ぐるぐると頭の中をそんな思いが交錯する。
だが、その時ふと、さっきいただいた仕出弁当の中に小さなお寿司がいくつか入っていたのを突然思い出し、それでひとつ思いついたことがあったので、 思い切って私は口を開いてみた。
「クリハラさんてさ。」
とたん、みんなが
”ナッキー何言い出すの!?変なこと言わないでよ・・・・・”
みたいなハラハラした目で私を見る。大丈夫、心配してるようなことは言いはしないよ。たぶんね。
「○△寿司の太巻きが好きだったよね。」
すると
「ええ、あの子はほんとにあそこの太巻きが大好きだったんですよ。」
お母様が同意を示してくれた。そうなんだ。知ってたんだ。よかった。
で、続けて
「私が弘前に行きますとね、必ず”ここの太巻きは弘前の隠れ名物なんだ”とかって食べさせてくれたんですよ。もう、4,5回は行きましたでしょうか。」
そんなにしょっちゅう行ってたんかい。それは知らんかったぞ(笑)。そして
「弘前には桜の季節に行くことが多かったですけれどもね、あの子は弘前城の桜よりも板柳(※弘前の隣町)の桜が大好きでねえ、そこにもよく連れて行ってくれました。」
と言って、クリハラさんが撮ったというその板柳の桜の写真を見せてくれた。
「うわーすごーい。」
「これって弘前城の桜よりすごくない?」
「こんな穴場知ってたんだクリハラさんて。」
みんな写真に集まると、いっせいに口にした。
 あとはみんな、それできっかけができたかのようにあの時はああだった、こうだったとクリハラさんにまつわる思い出話をはじめた。どうやら場をつなぐことが できたようである。よかった。
 けれども、みんなの会話がふと途切れたところでお母様がポツリと
「親の私が言うことではありませんが、本当にくやしいです。あんないい男がいなくなって・・・・・」
最後の方は涙声になっていた。
 またもあたりを押し包む沈黙。
けれどもそれは気まずいからではなく、お母様のその台詞にひとり残らず同感しているからに他ならなかった。

「やーごめんねみんな途中で席をはずしちゃってさー。」
 しばらくして再び戻ってきたノジマさんご夫妻&シオリちゃん。
「あ、お疲れ様ですー。」
「ヨシロウもまた元気になったわ。マコもオムツもミルクもあげてすっかりご機嫌になったよー。公園の中だったけど。」
そこで私はちょうどいい機会だと一大決心。
「キミコさん、私にマコちゃん抱かせてもらってもいいですか?」
「いいよー。どんどん抱いてー。でもまだちょっと首すわってないからその点だけ気をつけてねー。」
 信じてもらえないかもしれないが、実は私はこの歳まで1回も赤ちゃん&こどもを抱いたことがない。親戚にも小さい子供がいないし身近な友人にも 子持ちはほとんどいなかったしね。それでちょうどいい機会だと思って抱かせてもらおうと思ったのだが、だけどいきなり初抱きが首の座んない赤ちゃんてのは さすがにチャレンジャーかなあ。
 てなわけでさっそく
「うわーあたしのこういう姿って死ぬほど似合わねー。」
などとひとり言を言いつつ抱かせてもらったのだが−
「・・・・・ふえ、ふえ、ふえーん」
10秒しないうちに泣き出してしまったマコたんなのであった。
「・・・・すいませんキミコさん。」
「いいよいいよ、しょうがないよ。」
というわけで私の初抱きはあえなく挫折。隣の座布団にマコたんを寝かせることにした。すると誰かが、
「いやーマコちゃん頭いいわ。このお姉さんがコワイお姉さんだってこと、ちゃんとわかってるんだねえー。」
・・・・・・るさい。誰がコワい姉さんだ(笑)。
 まあそれはいとして、私はマコたんをじいーっと眺めていた。なんか、抱かなくても見ているだけでひたすらかわいい。
そして、そんなマコたんやヨシロウ、タッくんを見て
”ああ、お母様もクリハラさんがこんな小さい時分にはひたすら子供の将来を思い描いていただろうに、まさか20数年後にこんな形で 先立たれるとは思っていなかっただろうなあ”
ふと思った。
 そして、今日連れて来ていた子供達の姿を見て、多かれ少なかれお母様もクリハラさんの小さな頃のことを思い出しているだろう。
でもそれって、かえってお母様のつらさを倍増させるばかりじゃないのかな。私は子供達のおかげでずいぶん救われたけれど、お母様にとってはどうなのかな。 今日子供達をつれてきたのは果たして正解だったのかなあ。
 私はふとそんなことを考えた。そして、
”あんた達は将来、親を泣かすようなこと、しちゃダメだよ。”
座布団の上で無心に手足をバタバタさせるマコたんを見て私はそう思ったのだった。

  −やがて日もとっぷり暮れた夜。
 形見分けということでクリハラさんが生前愛用していたサングラスやTシャツ類等をいただけることになり、みんなで笑点座布団やステカセキングTシャツや ルチャリブレの技の図解が入ったTシャツなどをひとしきりいただいたあと、
「すいません長々とお邪魔しまして。」
「いいえ、カズシもきっと喜んでいると思います。」
私達はクリハラさん宅を辞去させていただいた。
そして私達サークルの人間同士も
「お疲れ様です。」
「また、お母様にクリハラくんの話聞かせてあげようね。」
とかって挨拶し合って、解散の運びとなったのであった。  そして、盛岡駅に着くまでの間に
”ここの駐車場に車停めてるから”
みたいな感じでひとり、またひとりと散り散りになって行き−
駅に着いたときには私ひとりになっていた。
 新幹線の発車時刻までにはまだ2時間以上時間がある。何してよう。とはいっても時間的に観光とかはどう考えても無理なので、取りあえず盛岡駅3階のコンコースから しばらく盛岡の夜景をぼんやりと見下ろすことにした。
 眼下に広がるネオンサインの海。
それを見ていると、クリハラさんがなんだかこのネオン街のどこかにいるような気がしてきてならないのであった。
 そして上を見上げれば、これだけ周囲が明るいにもかかわらず空にはきれいな星がいくつか見える。
昼は晴れてるんだか曇ってるんだかよくわからない天気だったが、夜はくっきり晴天らしい。
 私はその晴れた夜空を見ていると、ネオン街ではなくてこっちの方にクリハラさんがいるんじゃないかという気がしてきたのであった。そして
”クリハラさん、今日私達がこうやってクリハラさんに会いに来たの、ちゃんと見てくれた?”
”つうか、私達のこと、見えてるんだったら黙って見てないで下りてきてみんなの夢にひとりづつ現れてザンゲしておいでよ。みんな、クリハラさんには言いたいこと 山のように抱えてるんだからさ”
 私はそんな声にならない思いを夜空に向かって投げかけたのであった。

   やがて、やってきた新幹線に乗り込んで行きとは逆の経路を通って帰路につき−
翌朝7時前に自宅に戻りました。行きと同様、帰ってきた時も家には誰もおらずひとりでした。
そして、夜行列車に揺られて眠れなかった分の睡眠を補うべく眠っていると−
 昼、キャオさんからの電話で目が覚めました(笑)。
っても、用件的には別にたいしたことはなくて
「ビデオどうなった?」
みたいな話だったんですけどね。
 でも、私は何だかその電話をもらって妙にうれしかった。
何でと言われると困るけど、強いて言うなら
”ああ、あたしは生きている”
という実感がわいたみたいな、そんな感じ。
ちょうどその前夜まで生きるの死ぬのみたいな修羅場っぽい場面に立ち会っていたことでもあるし。
 でももうこれでリセットできました。キャオさんそして他のみなさんありがとうございます。

あたしはもう元気です。

(追記)この時からしばらくののち、私達バンドサークルのメンバーの中でも特に「見える」「強い」といわれる人たちの間でクリハラさんの 目撃談が相次ぎました。ベッドで寝てて、枕元に誰かが立った気配がしたので”うわあああー!来ないでくれえええー!”と心の中で絶叫したら、それに応えるかのように ”俺だよ俺。こわがらなくていいよ”と心の中で声がし、同時に自分の手を握るかのような暖かい感触を感じたとか、また、子供好きだったクリハラさんは生前タッくんや ヨシロウをかわいがっていて2人ともよくなついており、なかでもヨシロウはクリハラさんのことを「カージ、カージ」と呼んで慕っていたのだが、あるときキミコさんが 自室でヨシロウと2人で遊んでいて、ふとキミコさんが室内に”こわくない人の気配”を感じたらヨシロウがその方向に向かって「カージ遊ぼ」と手に持ってたミニカーを 突き出したとか−

 それがちょうど彼女さんがクリハラさんのお墓参りに行った直後のできごとだったので、みんなで
「死んだ後ずいぶん経つのになんで俺らの所に来てくれないのかなー薄情だなーとか思ってたけど、彼女さんがお墓参りに来てくれるまで動けなかったんだなぁ。」
「彼女さんが来てくれたから安心して今度は私達のところに来たんだね。」
なんて語りあったものでした。いいなぁ。あたしのところにも来てくんないかなあ。ムリか。昔さんざ、いやな思いをさせたし、第一クリハラさんはあたしの札幌の住所なんて 知らないはずだもの。
 かくなる上は、クリハラさんが札幌に来たときにみんなでよく行った飲み屋”グ○ンド居酒屋富士”に行って、カウンターでひとりちびちびとグラスを傾けて いようかな。そしたら隣に座ってくれるかもしんない。

 でも、それよりもやっぱりクリハラさんには生きていてほしかった。何であたしら置いて先にいっちゃったのさ。ホントにバカだねもう。