Candle in the Wind〜その1

−まあ、タイトルは別にこれでなくても「会いたい」とかでもいいんですけどね。
 で、この2つの言葉の共通点に気付いたそこのあなた、たいへん勘がよろしいです(笑)。これらは、若くしてあの世へ行った人間に対する追憶をテーマにした歌の タイトルなんですね。
 というわけで私は先日不慮の死を遂げたバンドサークルの同期、クリハラさん宅へ弔問に向かいました。でも私にはソングライティングの才能はないので、 このようなぞろぞろした長文を書くことで想いをまとめてみたいと思います。以下はその一部始終です。なお、文中に出てくる人名はすべて仮名です。そして、 今回の一人称は「私」でいかせていただきます。

                ※        ※        ※

 その知らせを聞いた時、もちろん驚いたことは驚いたのだけれど、誤解を恐れず書けば
”やっぱり……”
と、私はある意味納得してしまったのだった。
 と言っても、生前彼が「死にたい」とこぼしてたのを聞いたとかそういうんじゃないよ。何と言うかその……ある種の”危うさ”を感じたんだよね。彼のように繊細で感受性の鋭い人種が共通して持つ、特有の危うさが。その繊細さ故に、彼は自ら命を絶たざるをえなかったのだろう。そんな気がする。
 だけど、だからと言って彼のしたことは到底許されることではない。ご家族は心労で倒れ、付き合っていた女性は毎日自分を責めて泣き暮らし、 そして私達バンドサークルのみんなを悲しみのどん底に突き落として−

 バカだよ、本当に。

−というわけで時は10月10日夜。
「ナッキー行くのか。」
「うん。先輩はどーすんの?」
「オレは……まだ気持ちの整理がつかねーよ。」
「そっか。」
あの緊急連絡を受けて、バンドサークルのOB連中の中でも札幌及びその近郊に在住の人間で久々のミーティング−要するに飲みである。
 メンバーは先輩(私のひとつ上。ちなみに私がただ”先輩”と書いたらそれは固有名詞です)、ヤマギシさん、タカギさん(このお二人は私よりふたつ上)、私の4人で場所はJR札幌駅のガード下の ”うおや一丁”(いっしーさんご夫妻をお連れしたトコですよ)。ガード下の飲み屋ということで、その騒音に負けないくらい店員も客もわいわいと元気がいいけれど、 私たちは集まった事情が事情なだけに冒頭のようにどんよりと沈みがち。
 そして、
「だからこれを出すのもほんとはつらいんだけどさ、これ、お前に預けるから持って行ってくれないか。」
 というわけで先輩からさし出されたのはお香典袋である。
「ん。わかった。きっちりお渡しするよ。」
すると、
「でも、つらいよな。これを出すってことは、彼が死んだことを認めるってことだもんな。」
 先輩に続いてふところからお香典袋を取り出すヤマギシさん。
「ほんと言うと、まだ実感がわかないんだ。ほんの一週間前に電話で話したばっかりだったのに。」
ヤマギシさんに続いて、そう言いながらテーブルにお香典袋を置くタカギさん。
 で、ヤマギシさんは
「今回はオレらはいろいろあって行けないから、ナッキーちゃんにこれ、預けるよ。」
「……わかりました。」
「オレ達の想いを、クリハラ君に届けて来てくれ。」
 冗談ぽく笑って私の肩をぽんとたたいたけれど、やはりその顔は寂しげだった。そしてぽつりとつぶやいた。
「ほんとはさ、この席に5人目のメンバーとしてクリハラ君もいるはずなんだよな。」
 そう、今年の春からクリハラさんは北海道在住になったので、誰からともなく音頭を取ってはよく5人で飲み歩いていたものだった。だけど、そのメンバーのうちの1人 はもういない−
 その場を包む重苦しい沈黙。
 だが、やがて私達4人は重い空気を振り払うかのように、
「じゃあ、今夜はクリハラくんのために追悼ライブ、やりますか。」
と、すっくと立ち上がりカラオケ屋さんに向かった。ここで私達は生前クリハラさんが愛したバンド−BeatlesやOasisの曲を夜通し歌いまくったのであった。

 で、翌日の夜−

 この日は両親が2人で旅行に行ってしまったため、家の中は私一人。こんな精神状態の中広い家で夜一人きりというのはメンタル面でかなりこたえる。本当は何もしないで 1日中ソファで横になっていたいくらいなのだが、スケジュール的にそれは許されない。やることはやらねば。
 てなわけで時は午後八時。
私はクリハラさんのご実家がある盛岡へ向かうべく荷造りをしていた。っても、洗面道具と化粧道具とお香典しか持って行かないようなもんだが。
 ちなみに本日の旅ルートは
寝台急行「はまなす」で青森へ→青森から特急「つがる」に乗り換えて八戸まで→八戸から盛岡までは新幹線or鈍行(この時点ではまだ決めていなかった)
である。そして、今回の盛岡ご訪問にあたってはバンドサークルのOB連中が15人ほど集まり、まとまってクリハラさん宅にお邪魔することになっている。集合場所は盛岡駅前で 時間は午後1時。中には卒業以後はじめて会う人もいるけれど、当然ながらそれを楽しみにするような状況ではない。荷づくりする手もどこか緩慢で重かった。

 そして、私はふと引き出しを開けて、あるものを手に取った。

 10年近い昔、クリハラさんが私にただ一度だけくれた手紙である。
今となっては文字通り遺品となってしまったその手紙を手にすると、さまざまな思いが胸の中を交錯する。

 私はしばらくその場に立ち尽くしたままその手紙を眺めていたが、深いため息とともにそれらの思いはいったん胸の内に押し込めて、再び手紙を引き出しにしまった。
そして、手早く残りの荷物をまとめると、家中の電気をすべて消して外に出て、玄関に鍵をかける。
空を見上げると、墨を流したような漆黒の空にぽつりと月が浮かんでいた。
月明かりは周囲の家々の窓や空き地の草木を煌々と照らし、そして、しんと冷えた夜のしじまをぬって虫の鳴き声が響き渡る−

これらのひとつひとつが、これから死者への弔いの旅に出る私の心境にぴたりとはまった。
だが感傷に浸っている暇はない。電車の発車までそれほど時間はないのだから早く行かなくちゃ。
ひと息つくと、私は暗い夜道の中を駅へと足早に駆けぬけていった。

 さて、それからおよそ1時間後、私はすでに札幌駅にたどり着いて「はまなす」の寝台に横になっていた。そして、駅構内を行き交う人たちを眺めながら
”まさかこんな形で長旅をすることになるとはなあ”
深いため息をひとつつく。
 いつもなら、懐かしい風景と仲間に会える喜びでいっぱいで、乗るたびに胸がわくわくした「はまなす」。その「はまなす」にこんなやりきれない思いを抱えて 乗り込むことになるとは思わなかった。
 そして、やがて動き出した電車に揺られながら窓の外を眺めていると、クリハラさんがもうこの世にはいないということがにわかに信じられなくなり、ふとクリハラさんの携帯に電話を かけてみたくなった。これはきっと悪い夢で、今電話をかければ
「やあやあ、驚かせてすまんすまん。」
とかって笑いながら言ってくれるに違いない。なんの根拠もないのにそんな気がしてきたのだ。そうなるともう矢も盾もたまらなくなり、携帯を手にして発信ボタンを押した。
 RRRR……RRRR……
だが、当たり前だが誰も出るはずはなかった。数秒後、一瞬プツッと音が途切れると
”おかけになった電話は、現在使われておりません〜”
の無機質なアナウンスが流れるだけ。
私は携帯を切るとため息をついて天井を見上げた。
”ああ、ほんとにクリハラさんは死んじゃったのかなあ”
 それでもまだ彼の死を信じられない自分がいて、その日はまんじりとしないまま一夜を過ごしたのだった−

 で、翌朝。

青森駅で朝こっ早いうちから乗り換えさせられ、AM6:30頃私はすでに八戸にいた。
”さて、ここからは鈍行でダラダラ行くかな”
 夜行列車で寝返りをうちながら私は結局そちらを選択した。少しでもクリハラさんが死んだという現実を思い知らされるのを遅らせたい、そんな気持ちがあったのかも 知れない。それに、そんな朝早く着いたってすることもないしね。
 そんなわけで私は電車を降りて隣のホームへ行こうとした。だが−
 ホームの案内を見ると八戸〜目時間は”青い森鉄道”、目時〜盛岡間は”IGRいわて銀河鉄道”になっていた。
”あれー?……そっか。盛岡〜八戸に新幹線が開業したことに伴って、この区間の鈍行は三セクに移管したのかな”
 その瞬間、私はいやな予感がして手元の切符をながめた。
 私がこの日持ってた切符は”北東北フリーきっぷ”といって、青森・秋田・岩手の三県内なら在来線はもちろんのこと特急や新幹線も乗り放題なのだが、切符の乗り放題 区間を示したイラストをよく見ると、八戸〜盛岡間だけスコンと抜けている。
 もしやと思ってみどりの窓口の係員さんに聞いてみた。
「あのーすいません。この切符では八戸〜盛岡の鈍行は乗れないんでしょうか?」
「ええ、乗れないですねー。お乗りになるのでしたら別料金になります。2960円です。」
……さようでございますか。
 新幹線には追加料金なしで乗れるのに鈍行にわざわざお金はらって乗る必然性はこの場合ないから、結局私は八戸から新幹線に乗り、鈍行なら2時間近くかかるところを わずか30分であっさり盛岡についてしまったのであった。時はまだ午前7時台。そして、秋田から来た新幹線「こまち」とドッキングしてはるか東京へと走り去る東北新幹線 「はやて」をぼーっと眺め、
”やれやれ。この後集合時間まで何してようかなあ……”
そんなことを考えた。
 で、その後しばらくは盛岡駅構内を適当にぶらぶらしたり外に出て噴水を眺めたりしていたのだが、ふと
”そうだ。せっかくだから田沢湖へ行ってみよう”
と思い立ち、ふたたひ新幹線乗り場へと向かった。だが、次の秋田新幹線の時刻をチェックすると、さっき見送った東京行き新幹線と入れ違いで 秋田行き新幹線がやってきていて、その次の秋田行きはといえば来るのは8時40分過ぎ。
”なんてこったい。さっき盛岡駅でぼさーっとつっ立ってなんかいなきゃよかったよ”
軽く後悔しつつそのまままた適当に時間をつぶしてしばらく待ち、やがてやってきた秋田新幹線に乗り込んで目的地に向かった←こんな朝早く着いてもすることないって 言ってたくせに、あるじゃんね(笑)

 ほどなくして、田沢湖駅に到着。こちらも盛岡から30分くらいの所である。降りる人はかなりたくさんいた。だが−
 周りのみんなは帽子にリュックにパーカーに綿パンという完璧な”山登りルック”の人ばかりで、あとはジーンズにカットソーみたいな人が多少いるくらい。そんな中で黒のロングスカートに 白ブラウスを着てグレーのジャケットを羽織った私は明らかに浮いていた。
”場違いかしら……”
内心苦笑いをする私。
 けどま、田沢湖観光が本来の目的なわけじゃないし、気にしないことにしよ。
 てなわけで田沢湖駅からはバスに乗り換えて、10分くらいで湖畔に到着した。

 南の島のような白い砂浜と透明度の高い湖水、そして青い空。紅葉も始まっており、湖を取り囲む森の木の葉が赤や黄色に染まりつつあった。
 私はバスから降りるとすぐに道路から湖岸に下りる階段に向かって歩いていった。そして、階段の途中で腰かけ、しばらく湖をぼーっと眺めていた。
 何でそんなことをしだしたのかはよくわからない。でも、私はこの時確かに疲れていた。水辺に行って癒されたい。そんな気持ちがあったのかも知れない。水辺に行けばこの沈んだ気持ちが少しは よくなる。なぜかはわからないがそんな気がしたのだ。けれども
”こんな時にこんなトコ来て、不謹慎かなあ”
ふと疑問を抱き、
”私がここ来たのみんなが知ったら絶対「こんな時に何観光旅行やってんのよ。」とかって思うよなあ”
そんなことを思った。そして
”これが純粋な観光旅行ならどんなにいいだろう”
そんなことを考えて軽くためいきをつく。
 そして、クリハラさんをはじめ、みんなと過ごしたサークルの日々をあれこれ思い出し、ずーっとその場所に座ってそれらの思いにふけったのであった。

 そうして1時間もいただろうか。私は田沢湖畔を離れ、新幹線に再び乗り込んで盛岡駅へと戻ったのだった。この時正午と少し前。ほどよい時間である(ほんとに 何しに行ったんだか)。
 そしてホームのベンチにどっかりと座り、
”さて、バンドサークルの関係者から何かメール来てねーかなー”
とケータイを取り出してパカッと開けた瞬間
「あー、ナッキーじゃーん。」
背後から声がした。
え?と思って振り向くと、そこにいたのは同期のヨシエちゃん。
「あー、ヨシエちゃん久しぶりー。卒業いらい初めて会うんじゃない?」
まさか同じ新幹線に乗っているとは思わなかったので、お互いビックリ。そして、エスカレーターを下りて待ち合わせ場所に向かって歩きながら道々
「ナッキー今日札幌から来たの?」
「うん。ヨシエちゃんは秋田から来たんだ?」
「そーだよ。東京からいったん実家に帰ってそこから、ね。ところでナッキーは今でもあの仕事してるの?」
「うん。何とか続いてるよ。」
「すごいねー。私なんて今勤めてるトコで4つ目だよ。」
なんて話をしていたのだが、実はこの時私は、おしゃべりしながら
”やっば、見つかっちゃった”
と上の空。だって、札幌から来る人間が秋田発盛岡行の新幹線に乗っているわけがないからね。まあ、青森に着いたあと弘前、大館と奥羽本線経由で行けば秋田発の新幹線に 乗るのも不可能ではないが、そんなことをしなければならない必然性は何もないし。
 と、その時ヨシエちゃんが
「ところでさ、何でナッキーが秋田発の新幹線に乗ってるの?」
ほら来た(笑)。で、私は
「いやー、朝早く着き過ぎちゃってさ。」
以下くどくどと説明。
「ふぅん、突然突拍子もないことをするところは昔と変わんないね。」
何じゃいそれは。
 ここまでしゃべったところで、待ち合わせ場所の駅前広場が見えて来た。
「あ、もうみんな結構そろってるわ。」
そういうと私達二人は広場に向けて駆け出した。

「久しぶり。」
「あ、ヨシエちゃんにナッキーだ。」
そこには既に10人近くの人が集まっていた。そして私は数少ない女の子の同期その2で子連れのシオリちゃんを見つけると
「やあシオリちゃん久しぶり。」
「ナッキーこそしばらくー。元気?」
「うん、元気だよ。タッくんも大きくなったねー。」
「でしょー。もう4歳なんだよー。」
とかってお決まりの会話に入っていくわけなんだけど、集まった理由が理由だからさすがに手放しで再会を喜ぶという風ではなく、お互いどこか一歩引いたような感じだった。
 そんな中、シオリちゃんの息子のタクくんは周囲の大人の思惑も知らずひたすら明るい。
「へーんしん。」
とかってその辺を元気に走り回っていて、それを見て私は何だか救われたような気がしたのであった(タクくんたちお子様陣には、この後何度も救われることとなる)。
 するとヨシエちゃんが突然
「ねーみんな聞いてよ。今朝秋田新幹線に乗ってるナッキーに会っちゃってさー」
その話かい。で、ひととおり聞き終わったあとこれまた同期のシシドくんが
「なんか、大人の時間の過ごし方というか何でわざわざそこまでというか……相変わらずだな。」
 だから何が相変わらずなの(笑)なんだけどそんなシシドくんは
「やーまだオレ、香典袋に名前書いてねーんだよな。」
なぬ?すると続けて3つ下の後輩ミナベくんが
「俺なんて見ての通り普段着のまんまっすよ。俺の中ではクリハラさんまだ生きてることになってますから、絶対喪服とかそれに準じる服なんて着たくないっす。」
というではありませんか。
 おおーい!あんたら一応社会人なのにいったいなんなんだそれは。確かに当日のお香典も服装も自由とは言われていたけど、いちおうそれらしくさあ・・・・
 でも、準備よくお香典を用意するのに抵抗があるのも、地味目の服を着たくない気持ちも、どちらも痛いほどわかるのでそれをとがめる人は誰もいなかった。
 けど、それでシシドくん他数人がお香典を用意している時、お金をただボロッとかたわらに置いて(お札が飛ばないように上に重いものをのせるといったことすらしない)、 しかもその間お金には全く目をやらないというヤツがいた。中にはお香典袋の表書きをするときにテーブル等の上で書かず、手に持って直に書いてるツワモノもいて、それを見て、
「おおーい、お金にはちゃんと目をやりなよ。」
「書くときはさあ、ちゃんと台を使ってさあー。」
あきれるやらおかしいやらで笑いの渦。
そんな彼らの様子に
”なんだい、私のこと変わんない変わんないって言ってるけど、あんたたちだって変わんないじゃんねえ。”
私はなんだか妙にうれしかった。そしてそれは全般的に沈みがちな空気の中での数少ない、学生時代に戻ったようなワンショットであった。