旅のノート・・2

この旅にたどり着くまで

 大谷探検隊、ヘディンやスタインの探険、マルコポーロの東方見聞録、こんな本を夢中になって読んで来ました。何時かは自分の目で見てみたい、そんな夢を持ち続けて何十年。2000年6月にリタイアーし、やっと自由になる時間が出来ました。早速実行です。
2000年7月27日、勇躍西安に向けて飛び立ちました。

 私の望みは、古の都”長安”から仏教東漸の道を”ガンダーラ”迄、出来る限り寄り道をしながら遡ることでした。実はこのコース、かつて中国に留学していた娘に6年も前に先を越されてしまい、オヤジとしては切歯扼腕していたところだったのです。
言葉が出来ないから個人旅行は出来ないしと言う事で、色々なツアーを物色しました。でも、一気通貫でこのコースを辿るようなものは有りませんでした。又近い物が有ったとしても、パスをされてしまう所が多かったりで気に入る物が中々見つかりません。仕方なく何回かに分けて、繋ぐことにしました。
そんな時くだんの娘が、中パ国境のクンジュラーブ峠で「○○のマークをつけた日本の旅行社のバスを見かけたよ」と言い出しました。早速旅行社を探しました。「西安を見て、飛行機で敦煌へ」といったツアーが多い中で、「蘭州から敦煌まで1148km、河西回廊をバスで辿る」と、こんなツアーが見つかりました。
これこれ、これなら途中でゴビ砂漠で小便が出来る。市場でハミウリを買って食べられる。夕食に出た野菜が、どんなものか朝市で調べられる。どんな作物が作付けされているのかも観察できる。
別のツアーと組み合わせれば、ガンダーラまで繋がる。よしこれだ!と早速申し込みをしました。

当初は、一気にガンダーラまでと思っていました。所がパンフレットを見ていたら、あそこもここも、これは体力のある内にとか、ついつい寄り道をしてしまい、2003年5月現在未だ繋がっていません。もう暫く掛かりそうです。

敦煌では、常設の劇場でシルクロードの踊りを見ました。

背景画:明代に作られた烽火台の壁面の文様