さんぽみち

「きゃあ!かわいいっ!」
 メイドにつれてきてもらった、子犬を前に、天使の名を持つ女王陛下は、歓声を上げた。成長すれば、かなりの大型になるはずのその犬は、今はちょうど中型犬くらいの大きさで、抱き上げるのにも、遊ぶのにも、華奢な彼女には、手頃な大きさだといえよう。
「本当に、この子、一日借りてもいいの?」
 気に入りのおもちゃを与えられた子供のような、きらきらとした瞳で世話係を見上げ、頷いてくれたのを確認すると、さっそくリードをつけて、散歩に出かけていった。もちろん、彼女独特の、弾むような足取りで。

 彼女の名は、アンジェリーク・リモージュ。金色の髪と、翡翠の色を溶かしこんだような碧玉の瞳を持った、若く、美しい、聖なる女王。
 ……とは、いうものの、プライヴェートでは、まったく普通の、ただの少女に過ぎないような服装や、言動を好む。特に、甘ったるいふりふりの衣装は、大のお気に入りだ。現にこの日も、犬の散歩に出かけるというので、多少シンプルにしてはいるが、衣装の甘さは普段の通りである。
 鼻歌混じりで聖殿を出たところで、ひとりの人物と行き当たった。
 緋色の髪と、時に冷酷にも映る、アイス・ブルーの瞳を持つ青年。守護聖という、女王にもっとも近しい存在である力を持った彼の名は、オスカー。9人の守護聖の中のひとりで、炎の力を司る。
「こんにちは。陛下。どちらへお出かけですか?わたしもお供してもよろしいでしょうか?」
 おどけた調子で、オスカーがそういうと、アンジェリークはにっこりと微笑んで、
「今日はこの子とデートなんです。でも、オスカーさまもご一緒してくださいます?」
「陛下の頼みとあれば、何なりと。」
 ふたりは、そんな会話を交わすと、くすくすと笑いだした。
「公園を抜けて、森の湖へお散歩しようと思って。よかった。オスカーさまと会えて。」
「子犬に夢中で、俺のことなどお忘れかと思ったんですけど?」
 オスカーの口調が、先ほどのおどけた調子から、急に砕けた調子に変わった。アンジェリークを見る視線も、ふっと穏やかな感じに変わる。
「忘れるわけ、ないじゃないですか。」
 アンジェリークがそれには気づく様子もなしに、ぷうっと頬を膨らませると、オスカーは苦笑して、彼女の華奢な肩を抱きよせた。アンジェリークの視界に、そっと影が落ちる。
「それもそうだ。せっかくの日の曜日だ。あえないのはつらいからな。」
 オスカーが、そういってそのままの体勢からアンジェリークを覗き込むようにすると、アンジェリークの方もちょっと顔を上向かせて、男の方へと近づけた。
 そっと重ねられた口づけは、甘やかな恋人同士のそれだ。お互いの感触を確かめると、名残惜しそうに離れた。アンジェリークが、甘えるように、リードを手にしていない方の手でオスカーの手を求めると、オスカーの方も、待っていたとばかりに小さな手を握り返してくる。
 恋人たちの、そんな甘い光景のじゃまにならぬようになのか、生来、おとなしい性格なのか、子犬は、ちょこんとお座りした状態で、ふたりを眺めているが、飽きてきたようだ。ふたりが離れたと見るや、くいくいとリードをひっぱりはじめる。ふたりは苦笑して歩き始めた。
「公園を抜けると、またガキどもにつかまって、せっかくのデートがまたつぶれてしまうぜ。森の湖に直接向かわないか?」
「そういえば、そうですね。じゃあ、このまま森の湖へ行きましょうか。」
 屈託のないその微笑みに、またオスカーは、強く抱きしめたい衝動に駆られたが、それをすると自制がきかなくなってしまうのはわかっている。さきにつないだままの手に、ちょっと力を込めると、犬、アンジェリークと並んで歩きだした。
 アンジェリークは、この宇宙の、聖なる女王という使命を負っているためなのか、生来の性質がそうなのか、常に誰からも注目され、愛されている。その彼女を独り占めしているのだ。デートをしているところに誰かと出くわすと、やきもち半分で、必ずといってよいほどじゃまをされる。
 もっとも、すぐに気をきかせて立ち去るものもいるが、どうしようもなく気のきかないものもいて、なかなか思うようにはふたりきりになれない。アンジェリークはといえば、オスカーのそんな気持ちなど、知ってか知らずか、たまに困った表情をする以外、にこにこと相手をしている。
 ……少なくとも、オスカーには、そう見える。

 森の湖には、何事もなく、誰に会うこともなく、たどり着いた。華奢な肩に木漏れ日が降りかかる。オスカーが思わず目を細めていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「おや。陛下とオスカーさまじゃありませんか。」
 あらためてふたりが、声のした方へ視線を向けると、そこにたたずんでいたのは、今回、新たに女王試験が行われることになったおり、ふたりの女王候補のために聖地に招かれた教官たちが、全員、まとめて立っている。その中から、最年少のティムカが抜け出して走ってきた。
「うわあ!かわいいですねえ!どうなさったんですか?聖殿で飼っていらっしゃるんですか?」
「ううん。お世話係の人に今日一日、貸してもらっているの。わたし、子犬のお散歩ってしたことがなかったから。」
 それを聞くと、ティムカの顔がかなりうらやましそうな表情に変わる。
「いいなあ!僕も犬の散歩ってしたことがないんです。一度してみたいと思ってはいるのですが。あ。でも」
 ティムカが一瞬口ごもると、横からヴィクトールが口をはさんでくる。
「なんだ。そうならそうで、陛下にご一緒させてもらえばいいじゃないか。犬ならちょうどここに陛下が連れてきていらっしゃるわけだし。」
 気のきかないひとりでもあるヴィクトールの言葉に、ティムカが、なんと答えていいものやら考える間もなく、当の女王陛下がにっこりと笑ってみせる。
「そうね。いっしょに歩きましょう?」
 もちろん、誰も逆らうわけがない。気の毒なティムカは、陛下や犬と歩けるのは嬉しいものの、オスカーの顔だけは、振り向いて表情を確かめる勇気が、なかったらしい。セイランに、視線で助けを求めると、さすがに皮肉屋を気取るセイランも、かわいそうになったのか、それともなにかの気まぐれか、一緒に歩きたいと言い出し、そうするとヴィクトールが参加しないわけがない。
 せっかく、このような事態を想定して、公園を通らずに森の湖に直行したのに、早くもデートの邪魔者が現れる。ここ数週間、こんなことの繰り返しで、オスカーはなんとなく気分がめいったまま、それでも恋人のそばを離れがたくて、歩き始めた。ティムカがなんだかびくびくしている様子なのも気になるが、それを言っても仕方がない。むしろ気の毒だと思う。ティムカは、本来なら、いつも彼らに遠慮してさっさと立ち去ってくれるひとりなのだから。
 しばらく歩くと、今度は明るい声が響き渡る。
「あーっ!陛下じゃないですかぁ。ほら、アンジェリーク、陛下だよ。」
 もちろん、この明るいふたつの声は、女王候補のふたりである。天才との呼び声も高いレイチェル・ハート、女王陛下と同じ名前をもつアンジェリーク・コレット。どうやらお菓子を作るのに使うジャムの材料を求めて森の湖のちょっと奥にまでやってきているらしい。バスケットに、おいしそうな木の実がたくさん詰まっている。
「オスカーさまもご一緒だったんですか?」
 ちょっぴり引っ込み思案の少女が、はにかみながら問いかける。オスカーは、それでも鷹揚に頷き、
「うらやましいか?」
 などと軽口をたたいてみせる。
 もっとも、女王候補ふたりが、真剣な顔をして頷いたのには、さすがのオスカーも内心、がっくりとしたものだが。
 だが、もう、あきらめるよりほかはない。邪魔が入ってしまった以上は、せめて華やかな女の子がひとりでも多くいたほうが、まだ気がまぎれるというものだ。もっとも、彼は彼女たちにとっては、敬愛する女王陛下の恋人。恋愛の対象とはならない相手であるのだから、はっきりいって眼中にはないのだが。

 公園へたどり着くまでの間、オスカーは数々の忍耐を強いられることになってしまった。なぜなら、彼がそうやって、ふたりになりたいところを我慢しながら歩いているのを見て、からかいにやってくるものが、数人いたからで、もちろん、その数人も、しっかりとこの行列(まさに、その光景は行列としかいいようがなかった)に加わっているのだから、彼の心境は推して知るべきであろう。ちなみに、参加したものとは、オスカーの同僚である、夢の守護聖と、たまたま夢の守護聖と一緒に歩いていた地、緑、風の、それぞれの守護聖たち。さらに悪夢であることに、光の守護聖まで、どういうわけか行列に参加していたりする。ちらりと女王陛下の顔を盗み見ると、さすがにこの大人数になってしまったのは予想外であったのだろう。困ったように、それでもにこにこと微笑んでいる。ふと、視線がこちらを向いているのに気がついた。困ったような、何か言いたげなその表情に、思わず「なんでもない」というように微笑んでしまう。
 安心させるように。
 彼女の、こんな表情は見たくなかったから。
 すると、彼女の笑顔がいちだんとふんわりと、嬉しそうなそれに変わる。
 それだけでいい。それ以上は望むまい。
 オスカーは、そう考えることにした。なんといっても、彼はこの、至高の冠を抱く女性を独占しているのだ。特別まぶしい笑顔は、彼のためだけに存在する。
 やがて、公園にたどり着くと、オスカーの予想通り、闇の守護聖を除く、守護聖、協力者たちの姿がそこに揃うことになった。苦笑いをして、鋼の守護聖の新作メカ披露会に参加していると、あろう事か、現在の女王補佐官、ロザリアまでこの場にやってきてしまった。
「まあ!まったく、なんて気のきかないひとたちなのかしら!」
 ロザリアは、そう一言言い放つと、全員を見回して、それでも、こういった。
「仕方ありませんわね。よろしいこと?みなさま。たまには陛下をおひとりにしてさしあげてくださいね。お出かけするたびにこれでは、気の休まる暇がないじゃないですか。……それでもまあ、あなた方が陛下のいるところにいたいと思うのも、わかる気がしますから、今日は、このままみんなでお茶会にしてしまいましょうか?」
 その提案に、その場にいたものは全員、一も二もなく賛成して、喜び勇んだ少年たちと女王候補たちが会場のセッティングに走り去っていく。水の守護聖に伴われた、闇の守護聖が現れる頃には、あらかたの準備が整っていた。補佐官と、女王候補ふたりの手作りのお菓子が並べられ、守護聖たち自慢のお茶が用意され、商人の持ち込んだ、地方都市の珍しい菓子や飲み物が、そこに並べられた。
 たくさんの、心優しい仲間たち、愛すべき女王候補、補佐官、そして何よりもいとおしい、ただひとりの女性。恋人にして至高の存在。蜂蜜色の髪と、緑なす草原を溶かし込んだ瞳を持つ、天使の名の女王。
 幸せだと、オスカーは思った。何よりも、この少女がここにいる。それだけで。
 今日も、聖地はやわらかい日差しに包まれている。
 そして、少女が微笑う。彼だけに見せる、あの、甘い笑顔で。
 少女の足元で、今日だけの飼い主を見つめて、少年たちの相手に疲れた仔犬が、こっそりとあくびをした。

                                        end.

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   長い間、お待たせしました。
   リクエストをいただいた、「犬の散歩をしているアンジェちゃんとオスカーさまと、なにやら邪魔をしにくる他キャラたち」をお届けします。
   リクエストをいただいたとき、「楽勝!」と、思ったのですけどねー。
   どういうわけか、筆が(キーボードが???)とまってしまい、大変長らくお待たせしてしまう結果となりました。
   と、いうわけで、初のキリヒット、750、ありがとうございます&おめでとうございます!
   たくさんの愛情と、感謝を込めて。
   だん たもつさまへ。


だん たもつさまから、その後、感想をいただきまして、「となりのトトロ」でメイのあとをおいかけるまっくろくろすけのようだ。とのお言葉をいただきました。

……ほんとだ。(爆笑!)

では、メイ=アンジェちゃんと、まっくろすろすけ集団(オスカーさまも残念ながら、そこに入る)の、お散歩をお楽しみくださいませ。