視線

                 

 視線を感じて、彼は振り向いた。水色の髪、水色の瞳。彼の一族以外には、宇宙広しといえども、めったに見かけることのない、珍しい上に、その一族の中でも特に美しい色合いをもつ、彼。――水の守護聖。リュミエール。
 彼の美しさは、その髪や瞳の色だけではない。高名な彫刻家がそれを模倣しようと思っても容易にできるものではないほどの、これ以上にないほどに整った顔立ち。女性とも見まごうほどの美貌をもちながら、彼は特にその外見に対しては特に執着していない。真に美しいのは、その内面なのではないのかともいわれている。優しさを司るだけあって、物腰も穏やかで、優雅。顔だけではなく、その身体の各所もまた美しく、優美な手を使ってハープを奏でるそのさまは、一幅の絵を見ているようだった。否。この美を完璧に写し取ることは不可能であるのだが。
 その彼に見とれるものはかなり多い。彼も慣れっこになっていたのだが、この視線は、見とれているのとはちょっと違うようだった。その視線の意味を言葉にして解釈してみるのなら、『凝視』という言葉がもっとも当てはまるかもしれない。好意も、敵意も抱いてはいないが、じっと見つめている。そんな視線。
 振り向いたが、何も見あたらないので、リュミエールは、軽く首を傾げて、またハープに向きなおった。繊細な指先が、軽やかに弦の上を踊る。振り向いた際に中断されていたやさしい旋律が、聞くものの耳元をくすぐった。
 その、聞き手だが、リュミエールが振り返ったときに、閉じていた目を薄く開けて彼をみたのだが、彼が向きなおると同時に、また目を閉じてしまった。漆黒の髪をした闇の守護聖、クラヴィスである。普段なら、どうしたのか訪ねるはずだが、今日に限っては、そう聞くこともしなかった。そこにはきっと、なんの予兆も感じられなかったからであろう。クラヴィスには、時折そういうことを感じて、彼自身はさることながら、この聖地の危機を何度となく救ったことがある。
 クラヴィスの穏やかに伏せられた目を見て、リュミエールは、また、自分の奏でるハープの音色に意識を集中しはじめた。先ほどの視線は、きっと気のせいなのだろう。

 クラヴィスの執務室を辞すると、彼は公園に向かった。公園の噴水のそばでもまた、ハープを奏でることがよくある。聖地の住民に憩いの場として親しまれている、その公園で、彼らの望むままにハープを弾くのは、彼はとても好きだった。時折視線を感じるが、彼は気にしないことにした。彼のこの髪と瞳を珍しがったり、それでなくても守護聖という立場のものだ。なにもハープを持っていなくても、髪や瞳の色が珍しい色でなくても、なにかと人々の注目を集める立場にあるのだ。もっとも、ここ聖地では見慣れているためか、このような無礼きわまりない視線など、めったに感じることなどないのだが。
 公園に着くと、そこには、別に日の曜日でもないし、とっくに女王試験は終わっているにもかかわらず、ウォン財閥の総帥が、あやしげな変装をして商売に励んでいた。
「おや。チャーリー。珍しいのですね。女王試験が終わってからは滅多にいらっしゃらなかったのに。」
「こんにちは。リュミエールさま。今日は市場調査ですわ。時々はこうやって直接商売にでませんと、お客さんが何を欲しがっているのか、わかりませんからね。リュミエールさまも、何か欲しいものはあらへんですか?」
「そうですね……。それでは、あとでゆっくり買い物にくることにしましょう。かまいませんか?」
「ああ、かましません。そんなら、お待ちしてますよって。」
 チャーリーが見送るのへ、にっこりと微笑んで返しながら、リュミエールは公園の奥へと進んでいった。公園には、すでに3人の守護聖が集まっていた。
 どうやら鋼の守護聖ゼフェルの、新作完成披露会のようだった。ゼフェルは、何かとメカを作っては、こうやって完成作品を披露してみせているが、けっこうトラブルも多く、失敗しては作り直し、また披露するということを繰り返していた。こういうときは、下手にハープを弾いていると、大変な目に遭うこともある。リュミエールはおとなしく実験を見学することにして、水辺に腰を下ろした。
「あ。リュミエールさま!こんにちは!リュミエールさまも実験をみにいらしたんですか?」
 マルセルは、その人なつこい笑顔を満面にたたえてリュミエールのそばに走り寄ってきた。そばにいたランディも、彼の司る力そのままに、軽やかに走り寄ってくる。
「今日はゼフェルの新しいメカチュピの完成披露会なんですよ。今日は、なんだか難しいことをいろいろいっていたんですけど、要するに本物の鳥の動きを再現した、画期的なものなんだそうです。」
 ランディが、おおざっぱに説明する。向こうで、『メカチュピ』という呼称についてのゼフェルの抗議が聞こえるが、ランディもマルセルもとりあってはいなかった。何でも、ゼフェルによれば、これは『メカチュピ』などという俗っぽい名称ではなく、『ZZ−PPSWW7−mk−2SP』というものらしいが、そう呼ぶのは正直なところ、ゼフェルただひとりだった。女王陛下でさえ、『メカチュピ』と言い表しているのだ。
「それは、楽しみですね。がんばってください。ゼフェル。」
 リュミエールが穏やかにそういうと、ゼフェルはメカの呼称についての抗議をぴたりとやめ、ちょっと照れたように『おめーのためにがんばってるんじゃねーよ』と、ぼそりとつぶやいた。
 披露会の間中も、なにやら視線を感じたが、リュミエールは、あえて気にしないことにした。だが、そうしようと思えば思うほど、視線がまるで重力でもあるかのように、ずんずんと重く、粘っこくなっていっていた。リュミエールは、必死で気にしないように努めた。気にしてはいけない。気にしたら、きっと、さすがに水の守護聖とはいえ、感情の爆発を押さえられないかもしれない。それだけはごめんだった。

***

 自分の屋敷に戻って軽く食事をとり、お気に入りの庭でくつろいでいると、またどこからともなく視線が彼を追ってきたのに気がついた。
 こんなことろにまで。
 リュミエールは不快だった。公共の場所(たとえそれが聖殿の中であっても)ならまだ許せる。しかし、ここは完全に彼のプライベートな時間である。ここまで追ってくる視線は、彼には許せなかった。しかし、生来の優しさがじゃまをして、視線の主を見つけようとか、ましてその視線の主を糾弾するということは、なんとなくためらっていた。これが、たとえば、彼とはほとんど同期にあたる、オスカーやオリヴィエあたりであれば、この場で押さえつけて、視線の主もその理由も、あっという間にわかったのだろうが。同時に、もう二度とこういうことをしでかさないようにすることも。
 しかし、彼はオリヴィエではないし、ましてオスカーでもない。そんなことは自分にはできないことなど、いやというほどわかっている。
 リュミエールは、ひそかにため息をついて、自室に引きこもった。
 さすがに、そこまでは、不愉快な視線は追っては来なかった。

**

「どうした?元気がないじゃないか。愁いをおびた顔もまたきれいなものだが、残念ながら俺は男には興味がないんだ……。おい?リュミエール?聞いているのか?」
 炎の守護聖の執務室で、室の主であるオスカーの軽口を聞いている間にも、どこからともなく視線を感じ、リュミエールはいらだち、つい、目の前にいる同僚の言葉を聞き漏らしてしまっていた。
「あ、ああ、すみません。ちょっと疲れてしまっているようです。それで、陛下からの火急の用件とは?」
「おいおい、もう一度説明しなくちゃいけないのか?しっかりしてくれよ。いいか?これが最後だからな。」
 オスカーの説明を聞きながらも、また視線が気になる。今度は長い間放心していたようだった。オスカーから、軽く頬をはたかれて、リュミエールはようやく我に返った。
「オ、オスカー……」
 このような態度はオスカーのもっとも嫌うところだ。怒りだすかと思いきや、オスカーは意外にも優しい言葉をかけた。
「どうした?本当に疲れているようじゃないか。……そこに長椅子がある。少し休んで行くといい。」
 リュミエールは、おとなしくその言葉に従った。熱いコーヒーが目の前に差し出される。どうやら、オスカーも、彼なりにリュミエールのことを心配してくれているらしい。オスカーの気持ちがとても嬉しく感じられた。
 しかし、それとこれとは別だ。
 この、つきまとう視線。不愉快というよりも、むしろ怒りすら覚える。
 あまり、このようなことが長く続くようだと、彼の持つ、繊細な神経は疲れきって、壊れてしまうだろう。
 限界、だ。
 少し休んだあと、自分の屋敷にこもって、彼は早々に眠ってしまった。眠れるわけなどないのは承知の上だ。だが、少なくとも、毛布にくるまっている間は視線から逃れることができる。それだけを救いにしなければならないとは、情けなくて涙が出そうになる。いらいらしている自分がいやで仕方なくて、同時にうじうじしている自分もいやだ。
 リュミエールの精神状態は、もうすでに崖っぷちにかろうじてとどまっているだけという状態になっていた。

***

 その翌日、彼は女王執務室に呼び出された。
 ここ数日、執務に身が入らなかったので、何かおとがめがあるのではないかと思いながら、おそるおそる入室すると、彼の左右から、ぱんぱんと軽い音をたてて紙テープが髪にかかった。
「ク、クラヴィスさ、ま?……ジュリアスさま……?」
 そして見渡すと、女王陛下はもちろん、補佐官ロザリア、おなじみの守護聖たち、2度目の女王試験の時の協力者たち、新宇宙の女王とその補佐官、アリオスといった、リュミエールにとっての仲間たちが、集まっていた。
「お誕生日、おめでとうございます!リュミエールさま!」
 金の髪と碧の瞳。女王候補の頃から変わらず、にこにこと人なつこい微笑みをみせる女王、アンジェリークは、ようやくリュミエールが落ちついた表情を見せると、そういって声をかけた。どうやら、リュミエールにはとっさに何が起こっているのか、思いつかなかったようだ。
「誕生日?誰の、ですか?」
「リュミエールさまのですよ。」
 思わず間の抜けた返事をしたリュミエールに、アンジェリークはおかしそうに笑った。
「誕生日。わたくしの……」
「はい。それで、あの、プレゼントなんですけど……」
 ようやく事情が頭にしみ込んできたらしいリュミエールに、女王陛下は、はにかみながらプレゼントのことをきりだした。
 すると、それが合図だったのだろう。全員が、何かを取り出した。どうやら、絵のようだ。きちんと額縁に入れてあるもの、キャンバス仕立てにしてあるもの、スケッチブックのもの、書いた紙をそのまま丸めた筒状にしているもの、それぞれ様々だが、見ると、すべてがリュミエールの肖像画だった。もちろん、上手なもの、稚拙なもの、様々だが、描かれているその人物は、確かにリュミエールだ。
 セイランは、かろうじてそれがリュミエールなのだとわかる、なにやら得体の知れない抽象画のようなものを描いた油絵。(本人が、あとでこっそりと耳打ちした言葉は、『今回は特別ですよ。僕は本来、人物画は描かないんですから。』だった。)ゼフェルは、さすがに器用さを司るだけあって、かなりのレベルのスケッチ。エルンストは、几帳面な性格そのままに、写真と見まごうほどの精密な肖像画。オリヴィエは、色とりどりに飾り立てた、デザイン画のようなイラストのようなもの。
 リュミエールがそれらを眺めていると、ひょいとオスカーが覗き込んで、それを描いたのは女王陛下だと告げ口する。それは、いかにも少女の描いたと思われる絵だった。リュミエールが、思わず目元をほころばせると、真っ赤になった女王陛下がリュミエールの持っているものの中からひとつをとりだして、それがオスカーの作品であると告げた。それは先ほど、ざっとすべてを見たときに、あまりの稚拙さに、メルの作品なのだと思ったものだった。あとで教えてもらった、メルの作品はというと、オスカーのそれよりも数段上手に描かれていた……

***

 ようやく、作品の暴露大会(?)が終了すると、ロザリアが近づいてきて、最近の視線についての詫びを言った。
「かなり気にしていらっしゃったようなので、申し訳ないことをしてしまったと思いまして。」
「いえ。もう、その理由もわかりましたから、けっこうですよ。むしろ、お礼を言うべきなのでしょうね。」
 そういって、リュミエールは、ようやく取り戻した穏やかな微笑みをロザリアに向けた。
 しかし、これは本心ではない。正直、これで視線を感じることがないのだとわかると、心底ほっとするのだった。
 もしかしたら、この安心感こそが、彼に対する最大のプレゼント……だったのかも、しれない。

end.

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 お楽しみいただけましたでしょうか?
 この原案は、もうすでにオリヴィエさまの小説公開時には固まっていました。
 ようやく作品にして、お目にかけることができて、嬉しいです。
 わたしとしては、ようやくリュミエールさまのお誕生日が来た、という感じでしょうか(爆)
 お誕生日おめでとうございます。リュミエールさま!