光の午後

「ジュリアスさま。」
 ノックの音と共に、ここ、光の守護聖ジュリアスの執務室に響いた声は、炎の守護聖オスカーのものだった。
「オスカー。どうした?何か、緊急の用件でも?」
「いえ。今日は執務の方はどうでしょうか?よろしければ、チェスにおつきあいいただけないかと思いまして。」
 ジュリアスは、ちらりと書類に目を向けると、鷹揚に頷いて、
「いいだろう。つきあおう。」
と、言った。
「ありがとうございます。」
 オスカーは、礼儀正しく一礼して、勝手知ったるなんとやら、で、さっさとチェスの用意をはじめた。ことことと手早く駒を並べる。
 ジュリアスも書類を手早く片づけ、いすに座ってオスカーの手元を眺めた。金色の、豪奢な髪がさらりと揺れ、蒼い瞳がたちまち眼前のチェス・ボードに注がれる。
 お互いに、何手か駒を動かしたところで、なにやら、外が騒がしいのに気がついた。
 ふたりが窓から覗くと、うららかな日差しの中、がしゃがしゃと、けたたましい音をたてて動く機械がひとつ。その上に、ゼフェルはもちろん、ランディとマルセルの姿が見えた。よく見ると、マルセルに至っては、うっすらと涙まで浮かべているようで、相当怖い思いをしているらしい。
「また、ゼフェルか……」
「あのままでは、また誰かがけがをします。私が行って注意して参ります。」
「頼む。オスカー。」
 オスカーは機敏に立ち上がって、一礼して去って行った。

 10分ほどもした頃だろうか。
 コーヒーカップを片手に、エスプレッソを楽しんでいる彼の執務室のドアを、控えめにノックする音が聞こえた。
 オスカーにしては、ずいぶん遠慮した音だ、と、思い、入室を促すと、入ってきたのは、意外にも、王立研究院の主任研究員、エルンストだった。
「失礼します。ジュリアスさま。」
「珍しいな。何か、あったのか?」
「いえ。先ほど、オスカーさまにお会いしまして、時間がかかりそうなので自分のかわりにジュリアスさまのチェスのお相手をして欲しいと頼まれまして。よろしいでしょうか?」
「ふむ……?かまわぬが。途中からでも、よいか?それとも、はじめから?」
「このままでも、かまいません。では、はじめましょうか。」
 ジュリアスは、彼を先ほどまでオスカーが座っていたいすに座らせると、飲み物をふたり分、持ってくるように世話係のものに命じた。

 しばし、時間が流れた。
 ことり。と、音をたてて、駒が置かれる。
「ふむ。そう来たか。」
 ジュリアスが、しばらく考えたのち、次の手を打とうと駒に手を伸ばした、その、とき。
 どぉん、という大きな音が響き渡った。
「何事でしょうか?」
「行ってみるぞ。」
「はい!」
 短いやりとりのあと、ふたりは転がりでるようにして執務室を後にした。

「エルンスト。場所は?」
 馬の準備が間に合わないため、自分の足で走りながら、ジュリアスがそう問いかけた。もっとも、彼の内心では、いつでも馬に乗ることができるようにしておくべきなのに、それができていないとは職務怠慢だ、と、ひそかに思ったようではあるが。
「おそらく、公園の方ではないかと思いますが。」
「よし。急ぐぞ。」

 ジュリアスが公園にたどり着いてみると、何事もなかったかのようなのどかさが彼を包んだ。
「どういう、ことだ……?エルンスト……?」
 思わず振り返って、そばにいるはずのエルンストに声をかける。しかし、返事どころか、エルンストそのものがいない。
「エルンスト?エルンスト!」
 どういうことなのだ。
 ジュリアスは、大声でそう叫びたいのをぐっとこらえ、状況を把握しようと、近くのベンチに座っている男に声をかけた。
「先ほど、このあたりで大きな……そう、爆発音のような音が聞こえなかったか?」
「いえ……?そのような音は……何も……」
「そうか。すまない、なんでもないようだ。」
 数人に確認してみたが、まるで口をそろえたかのように、そのような音は聞いていないという答えがかえるばかりだった。
 ジュリアスの眉間に、思いっきり深いしわが刻まれる。このような表情を誰かが見ていたとしたら、オスカーでさえもあしらうことができるかどうかというほどである。(他のものに関しては、黙って逃げ出すだろうことは明白だ)
 もっとも、ジュリアス本人は、自分がそのような恐ろしげな表情をしているとは夢にも思ってはいないのだが。
 呆然としていても仕方がない、ジュリアスは唐突に歩き始めた。とりあえず、行き先は王立研究院だ。何はなくとも、まじめなエルンストが、仕事を放棄してどこかに消えるとは思えない。そう思ったのだ。

 ジュリアスが王立研究院の前に立ったところで、研究院の門が閉ざされているのが彼の目に入った。
「なぜだ?何があった?」
 そう叫んでみても、答えを返すものは何もいない。
 仕方なく、ジュリアスは聖殿へ戻ってみることに決めた。
 それにしても不可解な現象だ。あれほど大きな音がしたにもかかわらず、聞いたものはエルンストと自分のふたりだけ。そのエルンストも、いつの間にか消えてしまった。その上、きっと何かあれば出てくるはずの、ほかの守護聖たちの姿も、ここにはない。警備隊のものも、誰も出てきてなどいない。
 きっと、本当に何かあったのなら、何らかの形で報告がなされるはずだ。そう思いながら。

 こういう、訳の分からない状態は性に合わない。いらいらとしながら執務室のドアを思い切りよく開けた。……しかし。
 執務室の中は、自分のものにしてはやたらと暗く、まるで……
「すまぬ。どうやら、間違えたようだ。」
 クラヴィスの執務室に間違えて入ってしまったようだ。いくらクラヴィスの部屋が隣とはいえ、このようなことは長い年月、今の今までなかったのだが。
 慌てて出ようとするジュリアスの服に、「ぽん」という乾いた音と共に何かが当たった。
「な、なんだ?」
 驚くジュリアスをよそに、唐突に明かりがつけられる。
 驚くべきことに、女王陛下、アンジェリーク・リモージュを筆頭に、ジュリアスからみて右側にルヴァが、にこにことしながら。左側にクラヴィスが無表情で、なにやら円錐形の先にひもがついたものを、3人とも手にしている。そのうち、アンジェリークの持っているものだけが開いているところを見ると、先ほどの破裂音は、これらしい。……などと呆然とした頭でジュリアスが考えていると、クラヴィスが無表情のまま(いや、これでも無表情などではないのかも知れない)、ひもを引っ張った。
 軽い破裂音。
 続いて、ルヴァもひもを引いて、破裂音をならした。
「……まだ……わからぬ、のか?」
 クラヴィスが、ぼそりとつぶやいた。
「わ……わからぬ……いったい……何が……」
「あー、仕方ありませんねー。どうです?陛下。あなたの目的は達成されたようですよ?」
「そうですね。じゃあ、みなさん。ご一緒に。」
 アンジェリーク陛下の声を合図に、全員が口をそろえて唱和した。
「ジュリアス」「ジュリアスさま」
「ハッピーバースデー!」
 そして、今度は、全員の手にしたものから、軽い破裂音が響いた。よく見ると、新宇宙の女王のアンジェリーク・コレットと、その補佐官レイチェル、なぜか、アリオスの姿まで見える。そのほかにも、補佐官ロザリア、守護聖たち全員、教官たち、コレットの試験の時の協力者たちなどまでが、全員集合しているではないか。
「そうか……今日は、わたしの……」
 呆然とつぶやくジュリアスに、ルヴァが穏やかな微笑みをたたえたまま、ささやいた。
「驚いてくれて嬉しいですよ。ある地方では、こうやって、本人も忘れてしまっているようなことを周りの人たちが覚えていて、いきなりお祝いしてびっくりさせようという、『サプライズパーティー』というものがあるそうでしてねぇ。陛下にそのことをお話ししたら、ぜひやってみたいといわれましてね。ちょうど、あなたの誕生日が近かったのと、わたしの誕生日をみなさんがお祝いして下さったときに、自分が参加できなかったのが悔しかったそうで、それでこういうことになってしまったのですよ。」
「そうか。そういうことだったのか。では、今日の、あの不可解な事件は。」
「ええ。みんなで仕組んだことなんですよ。不愉快な思いもしたようですね。申し訳ありませんでした。」
「……怒るに、怒れんな。陛下が相手では。今日は、素直に感謝しておくことにしよう。」
 ジュリアスは、そう言うと、ワインのグラスを手にとって、ゆっくりと口元に運んだ。
(クラヴィスまでが、祝ってくれるとはな……)
 そして、どうやって彼らに今日のお返しをしようかと、楽しい想像をしてみるのだった。