秋の日の静寂

 その日は、朝から雨が降っていた。
 穏やかな晴天の続く、この聖地には珍しいことだ。
 闇の守護聖は立ち上がり、ガラスにたたきつけられる水滴の行方を追いはじめる。
 今日は、何度、この行為を繰り返しただろうか……
 静寂は嫌いではない。むしろ好ましい。
 だが。
 たまに、クラヴィスといえども、人恋しくなることはある。ちょうど、今のように。
 しかし、このような日に限ってリュミエールも姿を見せない。
 ここで彼にハープの曲の一曲でも弾いてもらえたら、少なくとも気分は晴れるのに。
 執務の時間中に、執務室から離れると、何かとうるさいものがいる……
 そう思って、一瞬ためらったが、普段なら好ましいほどの静寂が、今日はあまりにも重い。重さに耐えかねて、ついに彼は執務室を出ていった。
 執務室を出たものの、いくあてなどない。リュミエールのところに行くと、彼は留守だった。しばし考えて、彼はルヴァのところに行くことにした。特に意味はない。単に消去法で考えるとルヴァに行き着いただけの話だ。
 ジュリアスは、いろいろとうるさい。ランディ、ゼフェル、マルセルの3人は、退屈はしないだろうが、にぎやかすぎる。同じような理由で、オスカーとオリヴィエもパスだ。先ほど訪ねたリュミエールは留守だ。と、いうことは、残るのはルヴァしかいないではないか。ルヴァなら、気心も知れているし、なんといっても彼はクラヴィスにあまりうるさくしない。
 クラヴィスは自分の人選に納得すると、ルヴァの執務室のドアをノックした。
 返事がない。
「留守……か……」
 仕方ない。どうしようか考えて、とうとう彼は人と会うのをあきらめてしまった。もともと、人付き合いは苦手なのだ。
 執務室に戻る気になれず、自分の屋敷への道をたどりはじめた。
 雨は、先ほどよりは小雨になっている。これなら、雨を気にすることなく、ゆっくりと歩くことができそうだ。
 ぴちゃり、ぴちゃりと足音だけが、妙に響く。
 そういえば、今日はなぜこんなに静かなのだろう。いつもなら、いくら雨とはいえ、多少は子供たちが騒いでいたり、誰かと誰かの話し声が聞こえたりしているはずだ。
 もちろん、理由を考えるような面倒なことはしない。
 屋敷が見えたところで、その視界を横切ったのは、ここにいるはずのないものだった。
 そう。ここにいるはずのないもの。マルセルのペット(というと彼は怒るだろうが)、チュピだ。
「チュピ……?」
 マルセルの姿は見えないが、チュピは楽しげに飛びまわると、やがてクラヴィスの肩にとまった。クラヴィスは、人間には滅多に見せぬ表情でチュピに微笑むと、屋敷の中に入っていった。チュピは、飛び立つかと思いきや、肩にとまったままでいる。
 後でだしてやればよい。
 クラヴィスがそう考えてチュピから目を離すと、ようやく屋敷の様子に気がついた。
 屋敷も無人になっている。
 いつもなら、言葉を交わすわけでもないが、挨拶には必ずでてくる執事がこない。こないからといって怒鳴りつけることはしないが、なんとなく気になった。あちこち見て回ったが、やはり誰もいない。
 まさか、それでも、あまりにも無口な主人に愛想を尽かして、全員がでていったというわけでもあるまい。放っておけばそのうち戻るだろうとたかをくくって自室に引きこもってしまった。チュピのために窓を少し開けておくことは忘れなかった。
 そして、クラヴィスは世界中に自分と、この小さな生き物しかいなくなったかのような孤独を、半分楽しみながら目を閉じた。

 どれくらいたっただろうか。
 チュピは、まだ彼の部屋にいた。外はすっかり暗い。
「おまえは……おまえの主人のもとに帰れ。」
 それを聞いてチュピは、軽く首を傾げるような仕草をして、飛び立った。

 やがて、がやがやと人の声がしてきた。
 どうやら、使用人が戻ってきたらしい。
 そして、ノックの音。
「クラヴィスさま……?」
 声をかけたのは、彼の予想に反して、執事ではなかった。
「リュミエールか……?」
「ああ、やはり、こちらにいらっしゃったのですね?」
 いつ聞いても神経に障らない、穏やかな声。入るように促すと、水の守護聖は、衣擦れの音以外たてずにするりとクラヴィスの私室に入り込んだ。
「クラヴィスさま。恐れ入りますが、こちらへでてきてはいただけませんか……?」
「うん……?」
 何度手招いても、ドアのそばから動こうとしないリュミエールの行動をいぶかしみながらも、仕方なく、いつものけだるい仕草で立ち上げると、リュミエールがクラヴィスの後ろに回って背中を押し出しはじめた。
「なんだ。そのようにせずとも……歩ける……」
 クラヴィスが困惑した声を上げた直後だった。
「クラヴィスさま!」
 明るい、少女の声が耳に入った。驚いたクラヴィスが階段の下を覗き込むと、ちぎれんばかりに手を振っている少女の姿が視界に飛び込んだ。
「……陛……下……?」
 そう。その人は、現在の宇宙の女王、アンジェリーク・リモージュ。
 彼女だけではない。もちろん、補佐官、クラヴィスと彼の後ろにいるリュミエール以外の守護聖たち。新宇宙の女王、アンジェリーク・コレットと、その補佐官の姿も見える。もちろん、コレットの女王試験中や、そのあとも何かと会っている、教官、協力者といった面々の姿も。たくさんの料理との見物に混じって、なぜかウェイター姿のアリオスまでいる。
「……」
「さあ。クラヴィスさま。みなさんがお待ちかねですよ。」
 どうして、ここに皆が集うているのか。理由はすぐにわかった。
 どうやら先日のサプライズ・パーティで、我が女王陛下は味をしめたようだ。おそらく、自分がそうしたのと同じく、率先して指揮をとったのはジュリアスであろう。
「お誕生日、おめでとうございます!クラヴィスさま!」
 得意げに、にこにことクラヴィスを招くふたりの女王に、クラヴィスは苦笑しながら歩き出した。
「あんまり、驚いては下さらないのですね……?」
「違うわよ。ロザリア。充分びっくりしてくれているわ。ねえ?そうですよね?クラヴィスさま?」
「そうだ……な……」
 目をきらきらと輝かせながらクラヴィスの返答を待つアンジェリークに、クラヴィスはひそかに思った。

 まったく、この女王陛下には、かなわない。

 この調子だと、全員の守護聖にサプライズをするつもりだろう(オリヴィエの場合だけは、事情により守護聖も協力者たちも集まらないから、サプライズは無理なのだが)この女王陛下に、先ほどチュピに見せた笑顔をクラヴィスはしてみせた。一部、この表情にびっくりしたものがいたが、それはそれとして……パーティは、始まった。

 後で知ったことだが、この日一日の静寂は、この騒がしい面々からの、プレゼントであったらしい。
 人恋しくなって、逆効果であったということは、クラヴィスの胸深くにしまいこまれた。それを知っているのは、チュピだけだ。
 マルセルの肩で、チュピが小首を傾げた。