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日本橋 58年前の化粧

今日 8/15は 昔は「終戦記念日」、 今は「終戦の日」。 学校の先生は「敗戦記念日」 
と言っていたような・・・・・。

日本橋は7/27に大掃除をしたのに鳩のフンガイでまたまた汚れている。 
ふんがいものだ! というふるーいギャグを思い出してしまう。 お里が知れてしまうな。 


今の日本橋が完成したのが明治四十四年。 鳩を含め、色々な化粧がされてきた日本橋。

しかし58年間変わらぬ化粧がある。
橋の欄干、、欄干の飾り、歩道・・・・・・。そこには B29による化粧の跡とおぼしき痕跡が。
  この黒のは、なに?

欄干の上にある黒いシミ。 いくら洗ってもとれないそうである。
たしかにこすってもどかない。 

 

 人魂様の。
 
 完全にこびりついている文様で、まるで石に入れた入墨。

 飾り柱にも、色は薄いが茶色めのシミ。 これも水洗いでは取れない。
 





2003年3月26日の東京新聞に・・・・・・
3月23日だったかな? ・・・あれ? 2月26日だったっけ?

ともあれ、京橋の老舗の主人曰く
日本橋にも東京空襲の焼夷弾の跡があって、その跡が真っ黒く、いくら水洗いしても 
除けない。 そういえばあっちこっち(の石畳)に焼夷弾で欠けた跡があるよ。

とのコラムがあった。 

その記事を見てから、WEBで捜しても写真が見あたらない。
ということで、 実際捜してみた。

そうすると、石畳の欠け、変色、コンクリート補修・・・・・があちこち有る。

これらが焼夷弾の爪痕なのだろうか。
正直言って、「これがそうだ!」とは言い切れないものの、これらしいなと 
思える風景である。 

もっとも、あちこちしゃがんだりうつむいたりしながら写真を撮るには大変。
人の目が気になる場所。 朝は通勤ラッシュだし、昼は近くの食堂に出る人がたくさん。
結構目立つらしく、振り向かれてしまう。 夜は人どうりは少なくなるものの 暗くて写らないし。

  下流側の歩道にあったコンクリート補修跡。


 別の箇所のコンクリート補修。
ひび割れは何か強い力がかかったことを想像出来るし、コンクリート自信もかなり古そうな色調と凹凸がある。
赤茶けたシミは、よく判らないが鉄道馬車があったころのなごりであろうか。

 みごとなひび割れ。


欄干と同じ黒色化した石畳。 上3枚は新しめなので、黒い範囲は
もっと広かったのではないだろうか。


確実にこれだ!と自信を持って言えるものは無い。 
でも、残るものは残る、伝わるものは伝わる、と思った・・・のは、独りよがりなのかな?!

2011年3月21日追記
その後の追加情報は下記サイト参照
http://taikun.at.webry.info/201101/article_1.html  

焼夷弾の落ちた跡は数カ所ありました。
直径5〜6cmやや六角形の形をした弾の跡です。





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