HOME−−>東京タウンガイドに戻る −−>日本橋界隈は工事中(一つ戻る)。

三越新館 工事の落書き

江戸時代の風景が描かれています。
三越新館は「江戸のおしゃれ(スタイル)」です
  
南側から順に (1)日本橋の由来、(2)着物の歴に歴史、(3)日本橋の大店「越後屋」、(4)ファッション、(5)歌舞伎模様、(6)化粧事情、(7)江戸中期の女性の生活 と続きます。 


(1)日本橋の由来  東海道を始め、全国の道路の原点としてよく知られている日本橋は、慶長8年(1603)幕府の命により諸大名によって架けられたのが最初である。 翌慶長9年(1604)には、東海道、越後道、陸奥道、中山道等の諸道へ一里塚を築くに当たって、日本橋を起点とし、橋岬に高札城が置かれた。 その後、火災などによって改築すること19回を経て、明治44年4月(1911)に近代的で秀麗な石橋に替わり、現在に至っている。
 その左側には浮世絵が並べてあります。 右から左へ順に
 書名:東海道五十三次之図 日本橋朝之景〔錦絵資料〕 著者名:安藤広重/画 』   
  書名:東京・日本橋風景  著者名:芳虎/画 
  書名:東都名所 日本ばし雪晴之図〔錦絵資料〕  著者名:安藤広重/画(3代目)  
  書名:名所 江戸百景 するがてう〔錦絵資料〕  著者名:歌川広重/画〔著編者:安藤広重(1代目) 
  書名:駿河町〔錦絵資料〕  著者名:広重・画 
  書名:三井呉服店 陳列場之図〔錦絵資料〕  著者名:三井呉服店/画 



(2)着物の歴史
  江戸の着物  着物が今のような形になってきたのは、江戸時代中期の元禄前後からです。 特に江戸初期の着物は、まだ桃山時代の雰囲気が残っており、ビッグシルエットに小さなお袖と、現在とは似ても似つかない形でした。  
 
 左上の写真は江戸初期、中期、後期の移り変わりを示した絵です。
 赤地に大きな藤の花がら?をあしらったのは、江戸初期 寛文模様です。
 白地に花&花籠をあしらったのは、江戸中期 友禅模様です。
 右下の青地に裾の回りに細かな文様をあしらったのは、江戸後期 裾模様です。
 袖の長さ&形も少しづつ変化しいるのがわかります。



(3)「日本橋の大店」
 さらに右側の角には「日本橋の大店「越後屋」の図が有ります。 左右に並ぶ店構え、商店街のにぎわい、見返り美人、遠く富士山が描かれています。

  その解説には、
  日本橋の大店「越後屋」 
   
日本橋を渡ったところにあるのは、現在の三越である「越後屋」。 富士山を背景に駿河町の道を挟んで両側には「越後屋」が長く伸び、その先には同じ系列の「三井両替店」がさらに長く続いて見えなくなります。 




(4)江戸のファッション
 さらに右手には江戸のファッション。 帯の結び方が描かれています。
 『 江戸のファッション   江戸中期になると、元禄時代を中心に経済力を持った町人層がファッションリーダーになっていきます。  帯は初期の細帯からだんだんと広くなり、「吉弥結び」、「水木結び」、「平十郎結び」など、歌舞伎役者が用いた帯が一般的になっていきました。   


  水木結び 元禄期の女形役者。 水木辰之介が用いた帯結び。 吉弥結びの帯端をさらに長く垂らした華やかなもので、大流行しました。  


  平十郎結び  女形村山平十郎により流行。 片結びで、結んだ帯を垂直に立てる結び方です。」  


 『 吉弥結び  女形の上村吉弥が始めたもの。 「見返り美人」の帯結びで片わな(片がわになっている)に結んで垂らします。 

 

 『 江戸の粋 ”江戸の粋” といわれる独特の美意識が出てきたのは、江戸時代後期です。 着物の色は茶系、紺色系、灰色系とシックに、柄では縞、格子、小紋などが好まれました。 
 
  女性のおしゃれ 江戸中期の町人の娘たちの姿です。 顔の横のびんはつめぎみにし、後のたぼを長く引いています。 真ん中の女性がかぶっているのは綿帽子。 帯は広くなりかけており、袖は、なぎ袖になっています。 

 



 (5)江戸の模様

  江戸の模様 江戸の流行の発信源はほとんどが歌舞伎といっていいほどです。 錦絵や羽子板をはじめ、呉服店で売り出す反物の色、柄などが歌舞伎の流行を追いかけました。   〈歌舞伎役者から流行した模様〉 結綿模様 花勝見 かまわぬ 亀蔵小紋 観世水 小六染 斧琴菊  

 
 亀蔵小紋 :かたつむりの渦巻きの模様のこと です。  
 観世水   :右上の写真の半円が横に重なった文様のことです。 
 小六染   :右上の写真の斜めに色分けされた文様です。
 結綿模様 :上の写真のリボン飾り様の文様でしょうか。 
 斧琴菊   :右上の右隅の文様です。
 


 (6)江戸の化粧事情
  日本橋日本の化粧は平安時代以来、おしろいと髪の歴史といってもいいくらい、白い顔にこだわり続けました。 化粧の色についても、おしろいの「白」、お歯黒や眉の「黒」、そして紅化粧の「赤」と、白、黒、赤の三色しかありませんでした。   
  
  おしろい おしろいを溶く容器の三段重ね。 陶器でできていて色や柄も華やかで、おしゃれ心をそそります。  
   真ん中の女性は、 ”美艶仙女香”を”志きぶ”というおしろい刷毛のばしている渓斎英泉の浮世絵。 この女性はつぶし島田に切り前髪なので芸者らしい。  の案内が書かれています。
 
   
 
 化粧用のグッズ
 絵の描かれた袋は、『 おしろいのいろいろ』、 刷毛は 鼻たたき刷毛 』、『おしろい用刷毛 水刷毛 が描かれています。  
  口紅 平安の昔より、目や口の化粧はあまり重要視されてこなかったようです。 口紅が流行ったのは江戸時代になってから。 これは紅花の生産量が上がったことも一因ですが、それでも紅は高級品でした。 

  紅猪口は、使った後は伏せておきました。    お歯黒  
   




(7)続いて、「江戸中期の女性の生活」と題して、二つの様子が描かれています。

  上流家庭の生活 上流家庭の新婦の姿です。 当時、女髪結いはまだいないので、髪を結っているのは侍女なのでしょう。 側にある金蒔絵の入った豪華な物は化粧箱のようです。  
  
 
 『 武家女性の生活 出府の留守に読書を楽しむ大名の奥方の姿です。 昔は立てひざで座りました。 打掛を着ることができるのは、上流婦人だけです。  
 




正式なHPは、  
http://www.iijnet.or.jp/ynp/edo400/index.html  をごらんください



  HOME−−>東京タウンガイドに戻る −−>日本橋界隈は工事中(一つ戻る)。