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工事の落書き :旧東急百貨店(メリルリンチ)

メリルリンチの壁には「江戸の商い」。 そのほか花見の絵が描かれています。
  

 以下『 』 内は壁の落書きです。
花見のにぎわい :江戸の人々の最大の楽しみは、芝居と遊郭とお花見。
芝居はそうたびたびは行けませんし、遊郭は男性の世界。 お花見だけが身分の上下もなく、
性別も関係なく楽しめる最大の娯楽でした。』 
 
 
 上の図には、
 右側に『花見客目当ての物売りたち。 威勢のいい呼び声が響きます。』
 左上に『江戸の人々は芸達者。 素人も三味線、小唄、舞、踊りと宴席を盛り上げます。 』
 左下に『重の中味は魚、ひじき、こんにゃく、しいたけ、昆布の煮しめ、干物に刺身、酢漬け、などなど 
      ごちそうに舌つづみ。 』
     『宴をさらに盛り上げる  花見客や旅人の姿も』
     『花見客目当ての物売りたち 威勢のいい呼び声が響きます。』
などの落書きを見ることができます。


花の名所:花見はもともと一本の名木を眺めるということから始まり、集団で宴会をするものではありませんでした。 
上野の桜、隅田堤の桜、飛鳥山の桜は江戸のころから、庶民に愛された桜の名所でした。』
 
きつねあめ売り: 「さあ、踊ります!」子供があめを買うと、
きつね踊りをしてみせる、ゆかいな飴売り』」



小売商 というより個人で売り歩く商売が描かれています。
以下、それを見てみましょう。 知っているものもあれば、へエー!! と驚く商売まで様々です。

 
  



七味とうがらし売り 張子の大きなとうがらしが目印、「とんとん、とうがらし、ひりひりとからいはさんしょのこ、すはすはからいは、こしょうのこ・・・・」と調子のよい呼び声をかけて売り歩きました。』
 

 


 
 


 『うちわ売り 涼の恋しい暑い季節になると、色とりどりのうちわをかついで、やってきます。 うちわには風鈴や草花、似顔絵、縁起絵など、趣向をこらした色々な絵が描かれていました。』

 

 

  


 『かや売り 江戸は堀割やどぶが多く、6月ごろからもう蚊の季節。 就寝に欠かせないかやを売る「かやあ、ほろがやあ・・・」の呼び声は、江戸の夏の風物詩でした。』
 



   


そば売り 元々、そばといえば、「そばがき」。 その後、「もり」が主流となり、江戸後期に「かけ」も出回るようになりました。そば売りがなぜ「二八そば」という看板を出しているのかは、二×八=16文という価格説、小麦粉二:そば粉八で打ったからという原料説があります。』

 
   


金魚売り 夏の風物詩と言えば、金魚売りもその一つ。当時ガラスの金魚鉢はなかなか効果で、庶民には手が届かないものでした。 多くの人は焼き物の器に入れて、金魚の美しさを楽しみました。』
 

  

 
野菜売り 天秤棒を担いだ売り子たちは、何種類もの野菜を売るものと、大根などを単品で売って歩くものがいました。 庶民には日々なじみぶかい物売りです。』

 

  
 


宝船売り 正月二日によい初夢を見るとその年はよい年になるとされ、枕の下に宝船を敷く風習がありました。これを売り歩く宝船売りは、元旦から二日にかけての一日だけの商売でした。』

 
 


  
甘酒売り 冬の外売りの代表格といえる甘酒売り、 分荷に釜・七輪・茶碗・盆・炭を積み、夜の街を流して歩きます。 夏は白玉売りに早変わり。


   



あやめだんご売り 移動屋台でもちや上新粉の団子を売っていました。 たれや飴をつけたものや、焼き団子などその種類はさまざまでした。』

 

 



 



すし売り 寿司は店売りがメインでしたが、春先には旬の寿司を箱に積み上げ、「すしやァ、こはだのすーし」などと言いながら、街をを売り歩きました。』

 
  




いかがでした?  工事は2004年に完了。それまでにぜひ眺めにきてください。



 
http://www.iijnet.or.jp/ynp/edo400/art.html  をごらんください



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