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日本橋 見えない看板



普段、歩いていると見えない看板です。  

一つは、この橋を設計・製作した記念の看板、もう一つは関東大震災で壊れた箇所の修理の記録です。 

橋の下流側・南北のたもとに、ひっそりと置かれています。
橋の欄干から大きく身を乗り出さないとみえません。

 設計・製作の看板は南のたもと。 矢印の先に有ります。   写真右はその拡大図


 この看板には次のことが書かれています。
 
「本橋以明治四十一年十二月十五日起工四十四年三月二十八日竣成技師工學士米元晉一専當設計督工之任技手荒井春吉大崎貞一佐藤正太郎清水庄次郎坂口安彦杉山源次郎輔佐之橋上装飾出目顧問技師工學博士妻木ョ黄之心裁様式其他承同賛助者亦尠橋名乃公爵徳川慶喜所書也當時技師長即工學博士日下部辨二郎也橋梁課長即技師工學士樺島正義也」


まあ、主任技師:米元晉一  
技手:荒井春吉、大崎貞一、佐藤正太郎、清水庄次郎、坂口安彦、杉山源次郎
橋上装飾:妻木ョ黄 
橋名は、公爵徳川慶喜の書なり
當時技師長即工學博士:日下部辨二郎 
設計・工事監督 橋梁課長 技師工學士:樺島正義

といった名前が書かれています(ここいら適当)。

 WEBで調べてみると、
・日下部 辨二郎(くさかべべんじろう)工学博士  第13代土木学会会長。
・妻木ョ黄( つまき よりなか ) 【建築家】日本橋の装飾を設計。
・樺島正義 橋梁技術者 東京市在職時に日本橋を設計・工事監督。
・米元晋一 のちに下水道技術者として名を為す。日本橋は詳細設計を担当。

とあります。 


関東大震災での壊れた箇所の修理の記録は、北側の袂にあります。 



こちらにはこう書かれていました。
 「日本橋復?工事來歴   本橋ハ大正十二年九月一日ニ大震火災ニ因リ照明装置、高欄及敷石等ノ毀趺尠カラザルニ付昭和三年二月之カ復?工事ニ着手シ同年十二月其ノ工ヲ竣ル 此ノ工費總額金五萬餘圓ヲ要セリ  東京市 」

 ちょっと読みとれない文字もあるが、
 「照明装置や高欄、敷石等が壊れ、その修理に5万円あまりかかった」ことが書かれている。
 また、「大震災」 ではなくて 「大震火災」と書かれているのが面白い。
 ちなみに大正12年頃の物価は
  タバコ 20本 12銭、 ビール 39銭、 日本酒二級1升1円20銭 でした。

 平成10年に照明装置の修理をしていますが、その時の費用は



でした。

 

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