風 誘 讃 花    


      第 34 回   め く ら ぶ ど う と 虹   (2017年11月1日)   

  宮沢賢治の童話に 「 めくらぶどうと虹 」という作品があります。かれこれ半世紀前にこの童話を読んだ時は、さっぱり内容が

 分かりませんでした。そもそも賢治を読みたかったわけではなく、童心社から出版された 「 花の童話集 」が、いわさきちひろの

 挿し絵だったから購入したわけで、童話の内容が理解できないというのは、そんなに重要なことではなかったのです。

  その本を今になって改めて手にしたのは、読書週間が始まり、秋の夜長ということも影響したからでしょうか。読み進めてまず

 驚いたことは、”めくらぶどう”という植物は、野ブドウだと知ったことでした。

  めくらぶどうと虹のお話にまだ出会ったことのない人のために、少し内容を抜粋しますとこんな文章から始まります。

    城跡のおおばこの実は結び、あかつめ草の花は枯れて焦茶色になり、畑の粟は刈られました。「 刈られたぞ」と

    言いながら、いっぺんちょっと顔を出した野ねずみが、またいそいで穴へひっこみました。崖や堀にはまばゆい銀

    のすすきの穂がいちめん風に波立っています。

  この文章を読んだだけで、岩手県花巻に生まれた賢治のふるさとの秋の情景が、浮かんでくるようです。めくらぶどうはこのあと

 登場します。

    その城跡のまんなかに、小さな四つ角山があって、やぶにはめくらぶどうの実が虹のように熟れていました。

  めくらぶどうイコール野ブドウということはさっき言ったとおりですが、それが虹のように熟れていた、と描写する賢治の表現に私

 の心はすっかり持っていかれてしまいました。実はこの数年、野ブドウの色づいた時の美しさに魅せられて、ずっと描き続けてい

 ます。でも賢治のような表現は思いつきもしないことでした。

  賢治もこの野ブドウが大好きだったのでしょう。めくらぶどうと虹、という題ですから、当然このお話には虹も登場してきます。

  めくらぶどうが見上げる空に、やがて大きな虹が現れます。その虹に向かってめくらぶどうは声を掛けます。めくらぶどうにとって

 虹はあこがれの対象でした。  「 どうか私の気持ちを受け取って下さい 」 めくらぶどうは自らのはかない運命を嘆き、命をかけ

 て虹に仕えたいと訴えるのです。

  こうして童話を紹介している私でさえ、この言葉は唐突に思えます。もしもよろしかったら宮沢賢治の原文をひもといて下さいませ。

  今は美しい色をとどめているけれど、やがて色あせる運命を嘆くめくらぶどうに対して虹は答えます。現実は常に変化し、一秒ず

 つ削られたり崩れたりもしている。けれど、もし真の力がこれらの中に現れる時には・・・・いつまでも滅びることはないのだよ、と。

  童話と呼ぶにはあまりにも重く、深いテーマではありますが、賢治の童話はまことの力、法華経の教えを説くために書いたとも

 聞いています。いずれにしろ、この短い作品の中に、計り知れない世界観が内包されていることを、美しい自然描写とともに味わ

 わせていただいた幸せなひとときでした。

  今手元に置いて描いている野ブドウも虹も、刻一刻と変化してゆくものです。もっとも美しい時を経て、やがて褪せていく。そんな

 生命の推移といったものを描き続けたいと願っています。
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