そ よ 風 の 小 径  パート2

第 3 3 回  矢 車 菊 (矢車草ともいう) (2013年 8月 1日)

   花の水彩画教室で6月のお手本になった矢車菊には、漂泊の詩人と呼ばれた石川啄木が、こんな風に詠んでいます。

    函館の  青柳町こそ  かなしけれ  友の恋歌  矢車の花

  啄木は1907年、21歳の5月に岩手県渋民村から函館に来たと言われています。そして青柳町に5ヶ月ほど過ごすこと

 になります。青柳町は函館山の山裾にあたり、なだらかな坂道になっています。この地に佇む函館公園、その中央広場に

 は、この歌の歌碑があり、その案内文は次のように刻まれているそうです。

  「この歌碑は、啄木の青春のあしあと、青柳町時代を記念して昭和28年4月に建立された。全国に数多く点在する啄木

  歌碑のなかでも一番美しい出来栄えといわれるこの歌碑は啄木の自筆を使ったものであり、エキゾチックな風情とロマン

  を持つ街、函館をうたった歌として広く市民に愛誦されている。

  薄幸の詩人、啄木が函館に逗留したのは明治40年{1907年}5月から9月にかけてのわずか132日間に過ぎない。

  この間、文芸同人の友人に囲まれ、文学を論じ人生を語り、心安らぎつつも自らの若さと夢を思い悲しんだ。 」 と。
      

  私のふるさと信州でも、矢車菊はごく普通に風景の中に溶け

込んでいました。風に揺られて波のようにそよぐ花に青春の一旦

を感じたのは、この啄木の詞に出会ったからなのかどうかは定

かではないのですが、とても好きな花のひとつであったことは、

事実です。残念ながら本当にきれいな矢車菊に出会うことが少

なくて、絵にすることもままならなかったのですが、あるとき水彩

画教室に庭に咲いていたという青い矢車菊を持ってきてくれた

人がいて、 「ああ、これこれ!!」

という感じで描かせてもらったのが、そのまま教室のお手本になった次第です。

 もっとも、私は昔からこの花を「ヤグルマソウ」と呼んでいたのですが、実は矢車草というのは別の花の和名で、お手本

にしたのは、「ヤグルマギク」と呼ぶのが正しいらしいということを今回初めて知りました。

 調べてみると、確かにユキノシタ科の植物で矢車草という深山の湿り気のある場所に生える多年草があり、それが正式

に矢車草として園芸植物図鑑には載っているようです。根生葉は5枚の小葉からなる掌状羽状複葉で、この形が矢車に

似ていることから、この名が付いたとか。花茎が1メートルくらいあり、円錐状の花序をつけ、白い小さな花をたくさん付け

るというのですから、確かに矢車菊とは似ても似つかないもののようであるようです。とは言え、今までずっとヤグルマソウ

という呼び名で親しんできた身には、やはりこの名を使う場合もあることをお許しくださいね。

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