新エッセイの部屋

 第 22 回(H19年5月)  案内状の桜 

  異常な暖冬に見回られた今年、この分では桜の開花も相当早まることだろうと心の準備をして待ちました。けれども

 思いがけない寒波到来で、蓋を開ければ例年とそれほど変わらないお花見となりました。

  私にとって四月という月は、ピアでの個展を予定していましたから、そのための準備期間を数ヶ月前から過ごしてき

 ました。ベランダで育った鉢花や花屋さんで購入した色とりどりの花の絵が、会場には並ぶ予定だったのです。

  けれど、いざ始まってみるとラナンキュラスやアネモネ、ポピー

といった類のいわゆる春告げ花の作品はほとんど見あたらなくて

それに代わる桜が半分以上を占めていました。

 それはどうしてかと言うと、作者のライフスタイルに由来している

ということができるでしょう。季節の花に寄り添って生きる、と言葉

にすればそういうことになりそうです。

 分厚いコートを羽織り、首には幾重にも襟巻きを巻いて豊橋公

園の外れにある河川敷を訪れる頃から私の春は始まります。

 枯れ木のような風情で北風にさらされている桜の木の一つ一つに、間もなく訪れる季節に備えて準備を始めている、

いわば生命の鼓動を確かめに行くのです。枝先にほんのりとした彩りを感じたら、さあ、今年はどんな色でどんなふう

に桜を描きましょうか、と頭の中一杯に思い巡らすのです。

 当然、今までに出会った桜のあれこれが思い浮かんできます。家族で出かけた吉野の桜、夫と旅した東北で出会っ

た桜。二つに割れた巨大な花崗岩、その割れ目から巨大な幹がはい出して高々と枝を広げていた石割桜等が思い出

されます。

 けれど、今描こうとしているのは、そういう特別な桜ではなくて、毎日絵を描くことができて嬉しい、花を愛でることが

当たり前のこととして日常の中に組み込まれていることが嬉しい、そんな何気ない平凡な暮らしの中から産声を上げ

て生まれてくるものを水彩画という形で表現することができたらどんなにいいだろう。

 花を描くときはいつも、できるだけスケッチを重ねた上で花からいただくエネルギーとか、メッセージに耳を傾けた上

で、おもむろに作品づくりにかかります。というよりも、そうするように心がけています。

 でも、心が急いて、もう描かずにはいられないと感じてしまうときがあります。今回も桜が咲き出す時期が待ちきれ

なくて、美しい色を絵の具皿に溶いて一気に描き上げてしまいました。その一枚が個展の案内状に使った作品です。

もしお手元に案内状があるようでしたら、「ふーん、そうだったのか」というお気持ちで見ていただけたら幸いです。
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