吹き来たる風に肌寒さを感じるようになった頃、あるご婦人からお誘いを受け、そのご自宅にお邪魔しました。
私が講師を勤める水彩画教室に一年ほど通ってこられた人でした。
いつも美しい日本語を話されるので、「素敵ですね。」と言ったらそれはご主人が常にそれを求めていたからで
すと語ってくださいました。言葉のはしはしにどれほどご主人を愛していらっしゃたかが伺い知れるのでしたが、
4年前に癌で亡くされたとの事。お辛かったでしょうねという言葉もはばかられて、とまどっている私にその人は、
静かに大切な人との思い出を語って下さいました。
昭和24年、17歳だった彼女はその年初めて女子にも門戸が開かれた工業高等専門学校の化学科に入学を
果たしました。全校で女子は3人だけだったという事ですから、快挙と言うべきでしょう。物理、化学、数学が好き
な女学生は将来の夢を科学者と定めて学問に勤しんでいたのでしたが、その目標を大きく変える出会いが高専
の生活の中で待ち受けていました。
大学を出て赴任してきた若き教師との出会いは、彼女の人生目標を科学者から彼の妻へと方向転換させるの
に、大して時間を費やしませんでした。彼女の恵まれた才能を愛する人のために費やしながら幸せな結婚生活を
送ってきたのですが、別れは突然訪れました。共に暮らして50年近い日々を迎えようとしていた時、彼が癌に冒
されている事を宣告されたのです。
「これからの私の時間を全部あなたにあげる。」
そう言って彼女は看病を続けますが時は容赦なく訪れ、死は彼を連れ去ってゆきました。深い悲しみの時間が過
ぎて、ようやく愛する人の思い出を語る余裕が生まれたのでしょう。彼の死に対して彼女は、こんなふうに言って
いました。
「私はもう人生で恐い事は何もないの。だって一番辛い事を乗り越えたのだから。」
その言葉がリフレインとなって私の心に残っています。彼女が生涯をかけて愛した、いや今も愛しているその人は
「赤とんぼ」の歌が大好きでよく口ずさんでいたそうです。
この秋の終わりにそのメロディに促されるようにして、この絵が描き上がりました。
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