エッセイ 第8回 (2003.1) ・・・・ イヌノフグリ

   故郷に住む同級生から突然電話が入りました。

   「私、○○子だけど。」

  そんなふうに切り出されて戸惑いました。幼なじみとはいっても40年近い時の空白を

  埋めるには多少時間が掛かります。そんな私にもどかしさを感じたのでしょう。彼女は

  どんどん話し始めました。

  「ほら、学校の帰り道で一緒にイヌノフグリやスミレをつんだでしょう、小川の近くの土

  手・・・。昨日通ったらその同じ場所におんなじ花が咲いていたよ。」


   そんなふうに言われてようやく私も、そうそう暗くなるまで一緒に花を摘んだよね、と
  
  あいづちを打ったのでした。

   厳しい寒さが3月の終わりまで続く故郷の信州では、雪解けの季節がことさらに待た

  れるのでした。黒土をかき分けて芽吹いてくる春の使者に敏感になるのも、土地柄の

  ゆえでしょうか。

   まだ手袋もコートも手放せないでいるそんな時期に、水色の小さな花は北風をもの

  ともせずに咲いている。このイヌノフグリを見かけるようになると間もなく他の花たちも
 
  一斉に咲き出す季節が近いことを知って心が浮き立つのでした。

   「いつかまた会おうね。」

  そう言い合って電話は切れました。その時ふと、耳の奥の方でカチャカチャという音を

  聴いた思いがしました。心の耳を澄ますとそれは紛れもなくランドセルの中のアルミ製

  の筆箱の音でした。  

  
  
                  
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