新エッセイの部屋

 第 25 回    月 見 草  ( H19.08 )

  「 はかなさ ] という言葉がぴったりの一夜花です。
 
 故郷の家から車で30分ぐらいの所にある白樺湖の湖畔に、手のひらほどもあるもごとな月見草が咲いていて

 魅せられたものでした。
 
  その花の記憶をたどってチャレンジしてみましたが、淡く黄色い花というのは、なかなか絵にし難いものです。

 明度差が弱いので工夫する必要があります。

  それでも大、中、小と3種類の水彩画紙の上に描いてみたところ、中、小は何とか描けたな、と納得できる

 出来栄えであったのですが、B3のアルシュ紙に描いたそれは、ぼんやりとしたものになってしまって、客観的

 に見てどうしても手直しが必要であることが明白でありました。

  2〜3日ほおっておいた後に、思い立って月見草と同じ季節に咲く、ふしぐろせんのうを描き加えました。

  鮮やかな朱色のこの花は、山野草とは思えないほど華やいだ印象を秘めています。節黒仙翁と漢字で

 書く花の名前の由来は、節々が黒く茎が折れるとまた新しい茎を伸ばしては、次々と花を咲かせてゆくか

 らでしょうか。

  そんな積極性を持ち合わせたふしぐろせんのうと、あくまでも控えめな月見草の取り合わせは、なかな

 かいいぞと満足したのでした。

  ところで月見草の話に戻りますが、花の百科事典などを繰ってみますと、どうも本来私達が月見草と呼

 んでいるあのレモンイエローのすがしい花の正式名は、オオマツヨイグサ、或いは少し小振りなマツヨイ

 グサらしいのです。

  本来の月見草というのは、江戸末期に北アメリカから渡来したけれど、繁殖力が弱くて日本の風土に

 は、合わなかった。そのため、わずかな好事家によって栽培されてきた程度なのだそうです。

  太宰治が 「富嶽百景」 で述べている  「富士には月見草がよく似合う」というのも、或いは

  竹久夢二が詠んだ 「待てど暮らせどこぬ人を宵待草のやるせなさ」 の宵待草も、マツヨイグサや

 オオマツヨイグサを月見草だと思い込んで歌にしたようなものでありました。

  なにはともあれ、夕風が吹く頃を待って、川べりに咲き出したばかりの花を探しに出かけるのに相応し

 い季節を迎えています。
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