新エッセイの部屋

 第 13 回(H18.5)  今 年 の 桜 

  花散らしの雨と風が吹き荒ぶのをガラス戸一枚隔てた部屋の中で感じながら桜を描いています。先程、伊勢・志摩

 地方に大雨波浪注意報が出たことをテレビのニュースが伝えていました。おそらくこの地方にも影響が及び、再び晴天

 が戻って来た頃には染井吉野は、葉桜になっていることでしょう。

  街が桜色に包まれた季節は終わり、それに代わって萌葱色のときがやってきます。それぞれに美しい季節です。
 
 そして、四季がめりはりを持って訪れる国に生まれたことを嬉しいと感じるひとときでもあります。    

今年の春は存分に桜と対峙することができた、そんな満足

感を味わっています。花を描く者にとって花は咲いたから描

くというだけでなくて、そこを一歩進んで何を描きたいのかを

考え、その時期を待つのもまた花を描く楽しみです。

 新年を迎えて間もない頃、豊橋公園の中にある桜並木を

歩きました。冷たい風にさらされて木々の枝は生命の気配

さえもしませんでした。その日、私は森山直太朗の「桜」の

CDを買って帰りました。

 次に同じ場所を訪れたのは1月の下旬でした。前回訪ねたときには枯れ枝と見まごうばかりだった先端に微かな息吹

を感じました。帰宅した私は今まで描いた桜のファイルを引っ張り出してみました。多分7〜8年前から桜は、レパートリ

ーのひとつになりました。それまでは、「あ、今年も咲いた。」と思う以外はただ唖然と眺めているだけの高嶺の花でした。

それがマスケットインクを多用することで私なりの桜が描けるようになりました。

 昨年はブリリアントピンクを使って可愛らしい作品が出来上がりました。さて今年の桜は何色でどんなふうに仕上げま

しょうか。そんな思いを巡らしながらやがて訪れる季節を待つのは楽しいものです。

 桜の枝の先端がほんのり桃色を帯びてきてやがて動き出す、その頃になると天気予報でもどこそこの桜が開花した

というニュースを伝えます。温暖な豊橋は第一報に準じるくらいの速さで桜前線がやってきます。そうなるとほぼ毎日、

私のスケッチ行脚が始まるのです。

  誰に命じられる訳でもないのですが、スケッチブックを抱えて桜の咲いている場所に出かけます。そうしないではいられ

ない力が桜にはあります。

 今年はとりわけ知人の作品展の案内状が、多く舞い込みましたので、その会場に出かけたついでにスケッチして帰ると

いうこともあって、本当にたくさんの時間を桜の木の下で過ごしました。今日のように雨風が激しくて外出がままならないと

きは、部屋の中で桜を偲びながら絵を描きます。バックグラウンドミュージックに森山直太朗の「桜」を聴きながらの創作

は、まさに至福の時間です。

 そうして出来上がったのがこの作品です。

 結論を先に言うとそれは意外な仕上がりとなり

ました。森山直太朗のCDから受けるメッセージ

は、旅立つ友への励ましの詩というふうに私は、

受け止めましたので、未来に対する希望という

ようなものをイメージして筆を運んだはずでした。

然るに目の前に現れたのは、静かな哀しみを伴

った桜でした。

 「どうして?」

思わず声に出して呟いてしまいました。自分が思

い描いていたものと随分違うものが出来上がって

しまったことを問わずにはいられませんでした。意外な出来栄えに対して私はあれこれと思い巡らしてみました。

やがて辿り着いた答えはレクイエムという言葉でした。それは最近逝った身近な人への送別の心だったのでしょう。

若くして突然に逝ってしまった人の死をまともに受け止めるのは、辛すぎた私は充分に悲しむことをしないまま時間

を重ねてきてしまったことを知りました。

 刹那に散ってゆく定めを知る花は、その分定められた生命を精一杯咲き誇って、私たちにメッセージを伝えてくれ

たのでしょう。ありがとう、今年の桜。そしてまた会えるときまで。

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