若山牧水生家
Wakayama Bokusui



 

若山牧水(本名・繁)は明治18年8月24日、日向市東郷町坪谷に生まれ、豊かな自然と愛情あふれる家族に囲まれて幼少期を過ごした。旧制延岡中学に進学、文学に熱心な先生や友人の影響を受けて、短歌や小説を作り始め、次第に短歌文学に傾倒していく。早稲田大学に進学した牧水は、多くの文学仲間との交流を深め、また恋人との青春恋歌を次々と発表し、注目歌人となった。明治45年、太田喜志子と結婚、4人の子供に恵まれる。歌壇の中心として活躍する中、全国を旅し、旅情あふれる歌を読んだ。大正9年には、静かな環境を求めて静岡県の沼津に移り晩年を過ごす。昭和3年9月17日、44歳という若さで亡くなるが、9千首もの短歌と自然美溢れる紀行文や随筆を残し、国民的歌人として多くの人々に親しまれている。

牧水生家は弘化2年(1845)頃に祖父・健海が建て医を開業した。健海は埼玉県所沢在の農家に生まれ、長崎で医術を学び、26歳の時、坪谷の友を訪れたが、坪谷の山水の美に心打たれ、そのまま永住したのだろうと云われている。階下の道路に面した4畳の部屋が当時の診察室で、その他の部屋は家族の居間である。東側の板縁は牧水が生まれたところである。


 

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