山本五平家住宅(商家資料館) Yamamoto その他の写真 |
日南市指定文化財 (昭和58年10月1日指定) 宮崎県日南市飫肥8-1-9(移築) 建築年代/明治3年(1870) 用途区分/商家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 重要伝統的建造物群選定地区に指定される飫肥城下は、武家屋敷街を中心に整然とした屋敷割を現在に伝える美しい町であるが、意外にも商業地における町家の残存率は極めて悪い。町の中心を通る国道の拡幅工事により往時の建物は根こそぎ失われてしまったためである。自動車優先の横柄なモノの考え方は全国津々浦々にまで浸透しているようである。現在、「商家資料館」という名称で公開される当住宅も、そうした状況に全く無縁であったわけではなく、当初は現在地の道路の反対側に所在していたものを拡幅工事の折に解体消失を惜しむ声があがったため、かろうじて移築保存されたものである。そもそも当住宅は慶応2年の飫肥城下を全焼させた大火の後、明治3年に地元の山林業者であった山本五平により建てられたもので、地元の特産品である飫肥杉がふんだんに使用されている。現在では入手不可能と云われるほどに長く樹齢を経た巨木から構成される梁や桁の木組みは見る者を圧倒する。白漆喰の土蔵造という重厚な外観に似つかわしい内部構成である。ところで、聞くところによると飫肥杉は南方の温暖な気候に恵まれ過ぎたため成長が早く、そのため木目が荒く住宅材としてよりも、もっぱら船材として用いられることが多かったようである。飫肥杉の家というものは実は産地ならではのモノなのである。 本町は飫肥城下町における約400年前からの商人町である。 とりわけ、明治時代以降は飫肥杉の取引や南宮崎の政治、経済の中心地として栄えてきた。その?栄を今に伝えるのが商家資料館である。この建物は、慶応2年(1866)の本町大火後、明治3年(1870)に本町の商人で山林地主であった山本五平が建てた。木造一部2階建ての白漆喰の土蔵造りで、樹齢200年以上の飫肥杉がふんだんに使用されている。本町の町家は一般に間口が狭く、奥行きが深い。この建物も玄関口は商売用で、奥は居住空間があり、通路としての土間が奥まで続いている。明治24年(1891)には本町の素封家・高橋源次郎の所有となり、「正誼館」と名付けられて青年商工会の集会所や泰平踊りの練習所として使用された。昭和3年(1928)、妹尾家がこれを買い取り、金物屋を開いたが、昭和58年(1983)には本町通りの拡幅に伴い、市が寄贈を受けて旧所在地から約60m離れた反対側に移築、復元して商家資料館とした。館内には江戸時代以降の本町商人が使用していた道具約250点を展示しており、商人の生活習慣を知る上で貴重な資料である。【現地案内看板より】 |