三輪家住宅
Miwa



宮崎県指定史跡 (昭和11年7月17日指定)
宮崎県日向市大字細島700
建築年代/不詳
用途区分/商家(廻船問屋)
公開状況/非公開 【有栖川征討総督宮殿下御本営跡】
日向灘に面する細島は今でも重要港の位置づけであるが、藩政期においても薩摩、飫肥、佐土原など各藩の諸大名が参勤交代の折には九州からの船出地として利用するなど南九州地方の玄関口の役割を担った。明治10年の西南の役に際しても官軍総司令官であった有栖川熾仁親王殿下が薩摩軍追討のため細島に上陸、当住宅を本営とし、1ヶ月間滞在したという。当家は代々摂津屋善兵衛を名乗り、その名の通り摂津国と交易を行った回船問屋であったというが、さぞかし迷惑な話であったに違いない。

明治10年(1877)の西南戦争では、本市をはじめ県北地域の各地で大激戦が展開された。西郷軍は富高新町(現在の中町、本町、南町付近)や美々津に部隊を配置して官軍と戦ったが、相次ぐ敗戦によって門川、延岡方面へと敗走した。当時の細島は官軍の拠点となっており、軍艦が入港し、兵隊を上陸させていた。
有栖川征討総督宮熾仁親王は摂津屋善兵衛宅を「征討総督本営」とし、1ヶ月程度滞在、西郷軍鎮圧の総指揮に当たった。摂津屋は当時の面影を伝える重厚な厨子2階、平入の建物で、親王の愛用した高下駄や親王の揮毫による扁額などの数多くの遺品が遺されており、現在も摂津屋善兵衛の子孫によって伝えられている。【現地案内看板より】
 


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