児玉家住宅
Kodama



宮崎県指定史跡 (昭和8年12月5日指定)
宮崎県延岡市北川町長井6727
建築年代/
用途区分/農家
公開状況/公開 【南洲翁寓居跡/西郷隆盛宿陣跡資料館】
明治10年に勃発した西南戦争において、熊本鎮台の攻防戦に敗退した薩摩軍は小林から宮崎、延岡と退転し、8月15日に延岡の和田越で政府軍に敗れることとなった。薩摩軍総大将の西郷隆盛は、北川村の当住宅に寓居し、ここで会議を開き、薩摩軍の解散を命じ、自身は九州山地突破を敢行して鹿児島に落ち延びたのである。

明治10年の西南戦争は宮崎県の大半が戦場と化した。8月15日の和田越えの激戦では、官軍5万人に対して、西郷軍は僅か3500人であった。戦に敗れた西郷隆盛は、北川町俵野に退き、児玉熊四郎宅に宿陣した。翌16日には党薩諸隊に対し解散令を発し、17日午後4時、最後の軍議が開き、可愛岳突破を決定。その後書類や陸軍大将の軍服を焼いたうえ、午後10時に総勢600人となった西郷軍は可愛岳突破を敢行し、鹿児島までの敗走の途についている。
 



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