左座家住宅
Zouza
 


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泉村指定文化財
熊本県八代郡泉村仁田尾64

先項の緒方家から谷を一つ隔てた更なる奥地に当家は所在する。「五家荘」という名称の起源となった庄屋職を務めた五家うちの一家ではあるが、当家が統治していたという仁田尾集落の中心からは少し離れた急傾斜地に高く石垣を築いて屋敷を構える。
平家の落人伝説が絡まり脚光を浴びた「五家荘」地域ではあるが、当家の由緒は更に遡り、何と平安時代に栄華を極めた藤原氏により大宰府に配流された菅原道真の子息が藤原氏による追討の危険性から逃れるため当地に住み着いたことに始まる。
このような山奥に菅原道真の末裔が住まいしてきたとは誰が想像できるであろうか。全くをもって山の伝説は「凄い」の一言である。
当住宅は建築後、約200年程経過しているとのことであるが、二間続きの座敷をもち、唐破風屋根の玄関を構えるなど、かなり格式高く造作されている。また座敷の周囲を廻る縁側には透彫りを施した欄間が多用されるなど、意識的に風流を取り入れようとした形跡もみられる。しかし様々な演出を施されながらも質実な雰囲気を感じてしまうのは山間部の民家に対する私の偏見であろうか。
ところで、山間部の平坦な土地が少ない地域では、部屋を一列に並べ、梁間方向を伸ばして桁行方向を縮める工夫がなされることが多い。例えば、山を二つほど隔てた宮崎県の椎葉地方の民家などはその典型である。しかし当家はこれだけの山間部にありながら桁行方向にも遠慮することなく建てられている。この辺りが不思議なところでもあり、民家の世界の奥深いところでもあると私は思う。



 
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