上田家住宅
Ueda




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熊本県指定文化財 
熊本県天草市天草町高浜南723

天草は実に遠い。熊本市内からでさえも車で悠に3時間はかかる。昭和41年に天草五橋が架けられるまでこの地は純然たる島だったので、昔は尚更の事だったに違いない。しかしこれほどまでの僻地でありながら天草は江戸時代初めに天下を揺るがす大事件の舞台として突如として脚光を浴びる。幕府による百姓一揆弾圧事件、すなわち「天草の乱」である。乱の真相については諸説あるところだが、基本的にはキリシタン信仰という大義名分を隠れ蓑に纏った百姓一揆だったと解されている。凄まじいほどの抵抗は、著しい困窮生活の裏返しであったに違いない。乱鎮定後に幕府より派遣された代官が農民の困窮振りを見かねて、天草の地を離れる際に自ら城を破却したという逸話さえも残る。しかし、そうした天草に纏わるイメージからは考えも及ばないような巨大な家が高浜の地に残されている。それがここに紹介する上田家住宅である。
上田家の出自は信州とされており、大阪冬夏の陣で活躍した真田幸村と同祖の家柄だということだ。大阪落城後に天草に隠棲することとなり、以後江戸時代を通じて代々この地の庄屋を務めた。広大な敷地に南面して残る主屋は1818年に建てられたもので、大広間や座敷を中心に部屋数は20室を超える大規模なものである。建てられた時代を考えれば、まさに破格の建物であったと云える。
ところであまり知られたことではないが、天草は磁器の原料となる陶石の産地である。非常に良質な石を産するため高級磁器向けを中心に全国に出荷されている。大工さんの間ではこの陶石は天草砥石として有名である。当家もこの陶石を使用した「高浜焼」の窯元として江戸時代からの歴史を持ち、現在でも最大の窯元である。僅かに青みを帯びた真っ白な薄手の焼物で、淡白なデザインながら実に上品である。私もこの美しさに魅せられ愛用している。当住宅を訪ねた際には、是非高浜焼も購われることをお勧めする。


 

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