高田回漕店
Takada



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旧三角町指定文化財 (平成11年)
宇城市指定文化財 (平成16年1月15日指定)
熊本県宇城市三角町三角浦

熊本県の南方、有明海に突き出す宇土半島の突端部に三角の町はある。半島と天草島を繋ぐ天草五橋が架かるこの町は、JR三角線の終着駅とともに島原との間を結ぶフェリーの発着港をも併せ持ち、まさしく交通の要衝と呼ぶに相応しい位置にある。現在の町の中心はJRのターミナルがある三角東港周辺であるが、この町にはその中心部より約2キロばかり離れたところに三角西港という港が別に残されている。緩やかなカーブを描く美しい安山岩の石積護岸の港で、今は釣客ばかりが目立つが、実を云えば明治時代半ばに国家的なプロジェクトとして拓かれた港であったことは知る人ぞ知るである。(宮城の野蒜港、福井の三国港と共に明治三大築港と称された)明治20年に港としての機能が完成した当初、周囲には回漕業者や旅館経営者などが集まり、大いに活況を呈したことであろう。御雇外国人技師・ムルドルによって計画的に作られた町は、全てが画期的で新しかったに違いない。しかし残念ながら港としての寿命は極めて短く、大正時代末にはその役割を現在の三角東港に奪われてしまう。
当住宅はこの美しい港に面する一等地に寂しげに建っている。かつて建ち並んだ近隣の家並みは既に失われ、近年になって周囲が公園化されてしまったため、以前からこの地に建つ当住宅の方がまるで移築されてきたかのような落ち着かない風情である。住宅の建築時期は定かでないが、恐らく開港と同時期の明治20年代と推測されている。熊本に本店を構え、4隻もの汽船を所有したという高田回漕店が開港と同時に進出し、本業である荷物や旅客の輸送を担う一方、交通不便であったこの地で旅館業を始めたということである。
住宅は建ちの高い総二階建で、ニ階の開口部に民家としては珍しい「突き上げ戸」を用いているのが特徴的である。潮風から建物を保護するために外壁の殆どを下見板張りで囲うなど熊本県内の他の町家建築とはかなり印象を異にする。内部は1階に3室、2階には6室の客座敷を配し、大半の部屋に小規模ながら床の間を設え、完全な和風の造作である。旅館ゆえに各客座敷を壁で仕切り独立性を保つ配慮がなされているが、それまでの旅籠は部屋を襖で仕切る手法が主流であったことと比較すると先進的な考えを取り入れた建物と云える。天井も当時の建築としては非常に高く、海外からの旅客を意識したのではないかと思わせる居心地の良い造作である。和風建築でありながらどこか洋風の匂いがする建物で、単なる地方の旅籠建築とは異なるものである。当住宅の窓から、青く澄んだ美しい海を一日中眺めていられたらどんなに幸せなことだろうと思う。 (2012.2.19改訂)
(町村合併前の旧三角町の文化財指定は平成11年)

 

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