緒方家住宅
Ogata



 
泉村指定文化財 
熊本県八代郡泉村椎原46

当家の所在する一帯は俗に「五家荘」と呼ばれ、まさに深山幽谷の地と形容して全く差支えがないような山里である。平家の落人伝説が残ることでも有名で、当家も平清経の系譜を引くという由緒正しき家柄である。そもそも五家荘という名前の由来自体が、一帯の5つの集落をそれぞれ治めた家の数から始まった名称であり、当家はそのうちの椎原集落を支配し、江戸時代には庄屋職を務めたという歴史を持つ。
しかし山深い地域には、いずこにおいても貴人伝奇的な話が多少なりとも存在しており、平家の落人伝説などというものも実際には信憑性に欠けることが多い。当地方の場合は徳島県の祖谷地方にも残る落人伝説と関連性があり、落人達は祖谷にしばらく滞在した後、最終的に当地に落ち延びたということとなっている。しかし、おかしなことに祖谷の伝承では落人達はもちろん祖谷に定住したこととなっている。実際のところ両地域ともに定かなところは不明である。ただ落人でもなければ、このような険しい山間部に好き好んで住み着くような者は滅多に居ないであろうことは確かである。
ところで当家の主屋は約300年前に建てられたものだとされているが、実際の様子ではもう少し時代は下るように見受けられる。座敷などは質素ながらも前後2室からなる比較的整ったものであり、梁や柱などに使用される材もきちんと整形されており、かつ太い。また間取りは居間の前後に土間を設けるなど、平地の民家とはかなり様子が異なる特殊なものとなっており、興味深い。山深く平坦な土地が貴重な場所にありながら、当家の屋敷は格段に広く、主屋も充分に大きい。周囲と隔絶した山里では、時として考えも及ばないような豪家が存在することがあるが、当家もその例である。

五家荘は当初は細川藩の支配地であったが、貞享2年(1685)以降は幕府支配地となった。
久連子、椎原、葉木、仁田尾、樅木の5つの集落から成る。




 
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