徳富旧邸 Tokutomi |
熊本市指定文化財 (昭和43年8月13日指定) 熊本県熊本市大江4丁目10-33 熊本は明治期に活躍した著名人の邸宅が比較的よく残される地域だ。言論・思想界で活躍した徳富蘇峰に関連する邸宅はその代表例で、県内を転々とした経緯に伴い各所に関わりのある建物が保存されている。すなわち水俣市に残される徳富家代々の邸宅、益城町の生誕の家、そしてここでご紹介する活躍期の邸宅などである。 熊本市内に所在する当住宅は、明治3年に蘇峰の父・一敬が熊本藩庁に出仕するため郷里・水俣から移り住んだ家である。もともとは武家屋敷であったものを譲り受けたとのことであるが、決して規模の大きなものではなく贅を凝らしたものでもない。徳富家が入居後かなり大幅な改造を加えたのであろうか、当初の住宅としての形状はよく判らない。 また主屋の西には明治5年、明治天皇が熊本に行幸した際に行在所となった建物の一部が移築されている。行在所の厠として新築された建物らしいが、結局使用されることがなかったため県の役人であった徳富一敬が貰い受けたらしい。さすがに天皇陛下のために用意された建物ゆえに厠といえども上質な造作である。 徳富家は明治19年に上京するため、当住宅にはわずか15年ほど居住したに過ぎないが、この間に蘇峰は若干20歳にしてこの地に大江義塾を開設し、民権運動の拠点とするなど その後の活躍の基礎となる時代を過ごすこととなった。 屋敷内には楠の大木が生茂り、この一画だけが古きよき明治の時代に戻ったように錯覚する。記念館も併設されているので、ゆっくり時間をかけて勉強するのも良いだろう。 明治3年、父・淇水(一敬)の熊本県庁に任官(七等出仕)のため水俣を離れ熊本に移住。 明治15年蘇峰は19歳で大江義塾を設立。明治19年に上京するまで過ごす。 明治19年以降は河田家により保存。昭和37年に熊本市に寄贈。 |