藤崎家住宅
Fujisaki



登録有形文化財 (平成12年10月18日登録)
熊本県葦北郡田浦町田浦781-2

古く、田浦は人吉藩の湊町であった。そもそも立藩当初において四周を険しい山に囲まれ、全く海に面する土地を領土に持たなかった人吉藩は、江戸時代初期の肥後熊本藩が加藤家の領分だったころに八代城築城の材木供給の代償として海に面した田浦の地を得ることに成功した。田浦の発展の基礎はそのころに遡る。しかし残念なことに、その後人吉藩は城下を貫く球磨川の河口部である八代近くの植柳に領土を確保できたため、山越えの必要があった田浦の町は次第にその重要性を失うこととなった。早々に時代の役割を終えてしまった田浦は、しかしながら薩摩街道(現在の国道3号線)の沿線上にあったため在町として何とか命脈を保ち続けることとなった。
田浦の集落は海に面した山々の谷筋に沿って形成されており、意外に奥が深い。そんな町の中心部に白と黒のコントラストも鮮やかな屋根付きの板練塀を巡らす豪壮な屋敷が周囲を圧するように所在している。それが「赤松館」とも異名を持つ藤崎家住宅である。当家は江戸時代末期に庄屋職を務め、明治期に入ってからは大地主として成長した来歴を持つが、屋敷はまるで代官屋敷のような風情である。
現在の建物は明治25年9月に上棟したもので、4代目藤崎弥一郎氏が建築したものとされている。内部は銘木をふんだんに使用し、かなり凝ったものらしい。味噌蔵・長屋が屋敷の西南部に並び、西側塀に沿って籠部屋が設けられている。邸宅外には米蔵もある。
歴史の表舞台から取り残された町・田浦にあって、何故このような豪壮な屋敷を構えるに至る素封家が出現したか不思議に思うところである。


 

一覧のページに戻る