江藤家住宅
 Etou



国指定重要文化財 (平成17年12月27日指定)
熊本県菊池郡大津町陣内1652

熊本最大の観光名所はやはり阿蘇山だと思うが、世界最大のカルデラとして名を馳せるだけあって、その裾野さえも実に雄大な光景である。熊本から阿蘇へ向かう豊後街道沿いにある大津は宿場として発展した在町であるが、郊外は未だ荒涼たる原野のような風情さえ感じられる。当然のことながら時の為政者たちはこの阿蘇の麓に広がる広大な土地の有効利用を考えぬはずはなく、江戸時代初頭より藩を挙げてこの地の新田開発がおおいに行われることとなった。
中世においては大分の守護大名・大友氏の家臣であった当家の祖先は、豊臣秀吉の勘気に触れて主家が没落した後、何の所縁かは判らないが当地において帰農し、この新田開発の流れにうまく乗じて開発地主に成長を遂げることに成功したのであった。明治の最盛期には404町歩もの田畑を所有していたというから驚きである。巨大地主が多かった北陸地方であればいざ知らず、西日本においては最大級の大地主であったといえる。
ところで屋敷は広大ながらも、表通りから路地を少し入った場所に構えているため余り目立たない。屋敷への表口である二階建の長屋門も楠の大木に囲まれるように建っているためひっそりとした印象である。しかし長屋門を潜り邸内に足を踏み入れると平入の大屋根に千鳥破風の小屋根を前面に備えた二階建ての玄関を持った特異な姿の主屋が目に飛び込んでくる。なかなか強烈なインパクトである。
主屋主体部は安永年間(1780年頃)の建築で、増改築を繰り返し現在の姿になったということだが、江戸時代中頃にはおおよそ現在の姿になっていたというから大したものである。
明治維新後に雨後の筍のように出てきた新興の地主とは異なる、長い歴史を育んできた由緒ある巨大地主の屋敷として実に興味深いものがある。


 

一覧のページに戻る