三浦梅園旧宅 Miura baien その他の写真 |
国指定史跡 (昭和34年5月13日指定) 大分県国東市安岐町富清2507-1 建築年代/江戸時代中期(安永4年=1755頃) 残存遺構/旧宅・土蔵・塾跡・墓所 「豊後の三賢人」と称えられる江戸後期の哲学者・三浦梅園の居宅である。彼は天地の自然現象に世の理を見出し、古典に依拠しない独特の思想哲学「条理学」により「玄語」、「敢語」、「贅語」等の著作を残した人物として知られる存在。住宅は国東半島の中央部に聳える両子山の南側裾野に所在し、東面する傾斜地を造成した屋敷地には主屋や土蔵等の他、私塾跡や墓地も残る。山林や田畑に囲まれた長閑な山里に突如として思想的な巨星が現れる不思議を主屋の式台にでも座って思い耽るのも一興である。 平成14年〜16年に解体修理。 桁行19.5m 梁間9.9m |